堀江正章は、安政5年、長野県に生まれました。工部美術学校2期生として入学し、サン・ジョバンニに学びました。明治16年に工部美術学校が廃止になると、曽山(大野)幸彦の画塾で洋画を教え、曽山の没後は画塾を継承し、このような画塾が、明治29年に東京美術学校に西洋画科が設置されるまで日本の洋画界を支えました。
また、明治30年から昭和7年までの約35年間、堀江は旧制千葉中学校の図画教師として教鞭をとり、多くの学生を指導しました。赤・青・黄の三原色を駆使した明るい色彩が特徴です。
この作品は、時の知事阿部浩の要請を受け、多古町島地区から北側の耕地整理の様子を描いたもので、碁盤の目のように規則正しく整理された広大な水田と澄みきった青空が見事に描かれた大作です。
一覧に戻る