明治19年(1886)〜昭和20年(1945)

《北京・北海の春(一)》 昭和13年(1938)
キャンバス・油彩 縦45.5× 横53.5cm
【千葉県立美術館蔵】
《不忍池の初夏》  昭和4年(1929)
キャンバス・油彩 縦27.3×横41.0cm
【千葉県立美術館蔵】
 

 大野隆徳は、明治19年に本県山武郡福岡村の旧家の長男に生まれました。明治32年に旧制千葉中学校に入学しており、堀江の赴任2年目の生徒でした。

 将来は医者を志していましたが、堀江に学び、美術の世界に惹かれていきます。
進学のため、夏休みごとに上京して英語学校で学びますが、その都度は舶来のフランス美術図書を購入していたといいます。

 明治37年、旧制千葉中学校を卒業した大野は、翌年上京して1年後に東京美術学校に入学し、弟とともに東京日本橋際の下宿に住みました。在学中の明治42年にこの下宿屋から見た景色を描いた《日本橋》が第3回文展に初入選し、母校買上げとなりました。
明治44年、東京美術学校西洋画科を首席で卒業します。
卒業後の大正元年、第6回文展で《落葉を拾う児》が褒状、大正8年第1回帝展では《凪たる海》が特選。明解な色彩の対比による大胆なタッチの画面が続きます。

 大正11〜13年、渡欧、フランス、イタリア、ドイツ、スペイン、イギリス等を周り、パリ滞在中はサロンにも「聖境礼讃」が入選します。帝展、新文展無鑑査。光風会会員。昭和6年、大野洋画研究所を創立し、後進を育成。昭和20年3月の東京大空襲で作品の多くを焼失し、大野自身も戦災死しました。

大野隆徳

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