(1867-1936)

 大阪市に生まれる。五姓田芳柳、次いで小山正太郎の不同舎に学ぶ。明治33年(1900)満谷国四郎、丸山晩霞、鹿子木孟郎とともに渡米し、のちフランスに渡り、パリのアカデミージュリアン、コラロッシで学ぶ。帰国後、太平洋画会展に出品。大下藤次郎らと水彩画講習所を創立しその後、京都に移住し、関西美術院教授となる。大正2年(1913)日本水彩画会の創立に参加し晩年は、官展の水彩画家として活躍した。

「竹林図」
1934(昭和9)年頃作
紙・水彩
43.0×53.5(cm)

「日本水彩画史の作家と作品」トップへ