オビシャ
オビシャという名前にはどういう意味があるのでしょうか。「御奉射、御備射、御歩射」などの漢字があてられますが、一説では、馬に乗って矢を射る流鏑馬・騎射に対して、馬に乗らない「歩射」であると考えられています。
白い紙に同心円を描いた一般的な的もありますが、面白いのは、墨で「鬼」の宇を書いた的や、三本足の烏や兎などを描いた的も多いのです。古来、中国や朝鮮半島、日本では、三本足の烏は太陽を、兎や蛙は月を象徴する動物として描かれてきました。このため、オビシャは、「日射」すなわち象徴的に太陽を射て、新たな年の活性化を図る行事であったのではないか、とする考え方もあります。
このように、本来は弓矢で的を射る弓神事がオビシャ行事の根幹にあったのですが、次第にその形式が薄れて、単に村人達が寄り合い、会食するだけの行事となっている例も多くみられます。 
上総の農家−山武郡大網白里町萱野の事例
大網白里町萱野地区では毎年1月7日に氏子全員が熊野神社に集まり、その年一年の決め事を相談した後、神主を招いて神事を行います。その後、神主がまず、境内の「あきのかた(恵方。その年の歳徳神がいる方向。)」に向かって矢を放ち、その後、次々と氏子連が榊で作った的に矢を射かけていきます。少しでも的の真ん中に近い場所に当たるとその年は豊作になるといいます。
下総の農家−香取郡多古町多古の事例
香取郡多古町周辺ではオビシャを男女別々に行っており、女オビシャは子孫繁栄を願って女性だけで行われます。御神体である鬼子母神の掛け軸や供物を飾り、飲食と共にめでたい歌を歌って当番の引継を行います。