節分(セツブン)
旧暦の1月1日は立春前後にあたり、正月を「新春」、節分を「年取り」と、同一視することもあります。豆まきの後、年の数だけ豆を食べ、数え年で年をとったことを確認しました。大晦日の晩に「晦日そば」を食べ、節分の晩に「年越しそば」を食べるところもあります。
この日は、目籠を逆さまにして竹竿にさげ、鰯の頭を大豆の枝に刺したものと柊・グミの技を束ねて門口に刺し、鬼が近づかないようにします。とがった葉、臭気で鬼を追い返し、大豆の枝やグミが火にはねる音を鬼が嫌うともいいます。籠を下げることは、関東の他地方に広く伝承され、「2月8日のコトヨウカに一つ目小僧がくるので目の数の多い目籠を高く掲げる」という習俗と酷似しています。
上総の農家−市原市栢橋の事例
山武郡大網白里町砂田では、年越しそばを食べ、豆まきを行い、大豆の入った福茶を神棚などに供え、鰯の頭と柊、トベラ、グミなどを玄関柱に飾り、籠を逆さにしてかかげます。
下総の農家−印旛郡栄町の事例
印旛郡栄町では、年越しそばを食べ、目籠を逆さまにして竹竿にさげ、鰯の頭を大豆の枝に刺したものと柊・グミの技を束ねて門口に刺し、鬼が近づかないようにします。
商家−佐原市内・君津市久留里の事例
佐原の町場では、悪い鬼を追い払うために店の入口や窓などの出入り口に鰯の頭や柊などを飾りました。メカゴに柊などを飾って掲げた店もありました。夕方には豆まきを行い、子供や従業員にはお駄賃や祝儀が配られました。この日は鬼おろしで大根をおろし、酢味噌で味を付けたガジボジナマスいう料理を食べる家が多くありました。
武家屋敷−君津市久留里の事例
旧久留里藩の節分では玄関、勝手口の柱にマメガラ、メザシの頭、柊を釘で打ちつけ自然に無くなるまで放置しました。豆まきでは「鬼は外、福は内」と大声で言いながら煎った豆を撒きました。半紙にそれぞれの数え年の数だけの豆と小銭を包み、自分の体をさすりながら厄払いをし、その包みを近くの四辻に誰にも見られないように捨てました。それを他の人が拾って食べると福豆に転ずるという言伝えもあります。