太子講(タイシコウ)
聖徳太子がどうして様々な職人達の信仰の対象になっていったのかは、はっきりしていませんが、聖徳太子が寺院建立に大きなな功績があったことや、曲尺を発明したことなどと関係があるのではないかといわれています。そこで聖徳太子の忌日の1月21日か22日に太子講が行われるようになったのでしょう。時期としては中世から近世にかけての時期ではないかと考えられています。 
商家−君津市久留里・印旛郡栄町安食の事例
君津市久留里の事例では、聖徳太子像を飾り、赤飯、魚、塩、水などを供えました。この日は一日仕事を休み、職人の仲間が集まり飲食を楽しみました。
印旛郡栄町では、大鷲神社境内に太子の石塔が鎮座し、毎年1月半ばに建築組合で御神酒、塩、洗米を供え柏手を打ってお参りしています。