■ミニトピックス展 ―平成28年8月11日『山の日』に向けて―
山岳鳥瞰図作家・五百沢智也氏が描いた山 その4
富士山―遠景・中景・近景―

会期:平成28年6月14日~平成28年8月31日
会場:本館にて開催

 「山に親しみ、山の恩恵に感謝する」ことを目的にした新しい祝日「山の日」が、平成28年8月11日から施行されます。
 これに向けて、氷河地形研究者であり、鳥瞰図作家でもあった故・五百沢智也氏(千葉県一宮町)の山岳鳥瞰図や山のスケッチを、4回に分けて 紹介します。
 
 第4回は、五百沢氏の描いた富士山の鳥瞰図を展示します。
遠景に富士のある絵、中景に主題として富士山がそびえる絵のほかに、近景として、五百沢氏の代表作とも言われる富士山頂火口の荒々しい姿を描いた絵を展示します。なお、期間中に、新しい祝日「山の日」がやってくるので、担当者のMT(展示解説)を午前午後の2回行います。
 これらの作品は、空からしか見えない絶好のアングルの地形景観を、研究者の共有のデータとするため描いたもので、細かい地形表現がよく読み取れます。科学的かつ芸術的な作品をお楽しみいただければ幸いです。
 <主な展示品>
 ・鳥瞰図拡大パネルと原図 宝永山噴火口を南東から見る。 富士山頂を北西方向から見下ろす。など
 ・鳥瞰図拡大パネル 赤石岳・北西面 山梨県、三珠町、下芦川上空から見た富士山の北西面 など
 ・原画・空中写真 大沢崩れの全容を西側から見る。山頂南東面、北東面など。
 <シリーズ予定>
第1回 日本アルプスの広域展望図
第2回 山のスケッチ画 
第3回 日本各地の火山地形
第4回 富士山―遠景・中景・近景―
平成27年8月11日~11月29日 (展示終了)
平成27年12月15日~平成28年2月28日 (展示終了)
平成28年3月12日~6月5日 (展示終了)
平成28年6月14日~8月31日
 <主な展示品>

五百沢智也画 「下芦川上空から見た富士山の北西面」 出典: 鳥瞰図譜=日本アルプス 1979 講談社
 富士山の北側には御坂山地が連なり、芦川が流れています。その芦川の谷上空から富士山を見た図です。
 前景は、御坂山地の山と谷で、侵食の進んだ古い山地で、尖った山並とV字谷からなっています。
 中景は、削られた御坂山地とは対照的な、なだらかな富士山山体とその山麓地形が、表現されています。
 富士山の噴火した場所は、御坂山地や天守山地が囲む構造的な凹地にあたり、そこに富士火山が噴出して溶岩や火砕流.・火山泥流で凹地を埋め立て、山地とは対照的な地形が作られました。
 また、御坂山地と富士火山山麓の間に、右手から、本栖湖、精進湖、西湖の3つの湖があり、富士山の溶岩と御坂山地の間の狭間に水が溜まってできた様子がわかります。
 富士山山体は、北西・南東方向の地下の割れ目に沿って噴火し、割れ目の南西側が急で、北東側がやや緩くなり、割れ目に沿って側火山が密集して高まりを作っています。図の富士山山体の右手(西側)と左手(東側)での傾斜の違いや、山頂から右手前にかけての高まり(割れ目の上に当たる部分)に、地下構造の山体地形への反映が表現されています。

五百沢智也画 「宝永山噴火口を南東から見る 出典: 鳥瞰図譜=日本アルプス 1979 講談社]
上の図とは反対方向から見た富士山体を見た絵です。
遠景に、天子山地・御坂山地と本栖湖・精進湖を望み、富士山麓と山地との対比が鮮やかです。
正面山体に、江戸時代宝永年間に噴火した宝永火口があり、左手山腹の登山道は富士宮からの登山道です。
絵の位置は、北西・南東の割れ目上で、よく見ると、両側で山体の傾斜が異なっているし、宝永火口もその割れ目上にあることが分かります。

五百沢智也画 「富士山頂を北西方向から見下ろす 」 出典: 鳥瞰図譜=日本アルプス 1979 講談社
五百沢氏は自ら空中斜め写真を撮影し、鳥瞰図を作成していますが、特に富士山頂については、近くを周回して、迫力ある火口鳥瞰図を作成されています。この連作を通じて、始めて、富士火山の火口内の地形が一般に知られるようになったともいえます。
 この絵は、その代表作で、北西方向から見た絵です。左手の幅広の谷が吉田大沢、右の深い狭い谷が大沢崩れの谷頭です。火口縁の峰々は、富士講のお鉢めぐりの霊地で、最高峰の剣ヶ峰(3776m)は火口縁の右端にあたります。
 火口内は手前側の緩やかに傾斜する小内院と、断崖で境されるすり鉢型の大内院の2重の凹地になり、大内院の底の高度は3535mです。大内院周りの崖の中途にある、図で右側にみえる大岩頭が虎岩といわれています。大内院は、富士信仰で幽宮と呼ばれ禁足地になっています。
 <五百沢智也氏紹介>
 <五百沢智也氏年譜>
1933年 山形県山形市に生まれる。 幼少の頃より山形県内やその周辺の山登りに親しむ
1952年 東京教育大学理学部地学科地理学専攻入学。 大学在学中、日本各地の山と岩場に登る
1957年 大学卒業、建設省地理調査所(1960年に国土地理院と改称)に勤務。
     5万分の1地形図の測量作成に携わる
1970年 国土地理院退職、以後フリーとなり、調査・執筆活動を行う。
     9月~11月、第1回 ヒマラヤ行(これ以降ヒマラヤ行は13回を重ねる)
1979年 岳人「氷の山・火の山シリーズ」をまとめ「鳥瞰図譜日本アルプス」(講談社)刊行
1983年 「日本アルプスおよびヒマラヤ山脈における氷河地形および地誌の研究」により、
     第19回秩父宮記念学術賞を受賞
1991年  千葉県一宮町に移る
2007年 千葉県立中央博物館 春の展示「山の科学画」開催
2013年12月 逝去

 <主な著書>
 鳥瞰図譜日本アルプス(講談社)
 ヒマラヤトレッキング(山と渓谷社)
 山と氷河の図譜(ナカニシヤ)など