バラのすべて

明治時代のバラ

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 江戸時代とは打って変わって、明治、大正、そして昭和初期にかけて、バラの流行は一気に広まり、まさに「花の女王、バラ」という地位が確立されていきます。

 明治に入るとすぐに、アメリカからのバラの輸入が始まりました。幕末から外国人が住んでいた横浜居留地では、イギリスからもバラが取り寄せられていたようです。明治6年には政府の北海道開拓を担う官庁であった開拓使もアメリカからバラを輸入しました。明治8年には『パーソンズ・オン・ザ・ローズ』というアメリカのバラ栽培書の和訳本が『図入薔薇栽培法』として出版されました。原書のバラの絵を木版画で忠実に再現していて、最新のバラ情報を正確に伝えたいという意気込みが感じられます。

 同じく明治8年にバラの見立番付(みたてばんづけ)も発行されました。後ろ側の低い展示ケースをご覧ください。見立番付は相撲番付に似せてバラの品種を記したもので、欧米から輸入されたバラはすべて、このように日本語の名前をつけて販売されていました。明治時代にバラを扱っていた植木屋は、バラ園を兼ね、花の時期になると見物客を集めていたようです。番付に乗っている植木屋の名前や住所から、当時のバラ園マップを作って展示していますので、併せてご覧ください。

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