農薬・化学肥料にたよらず、30年の農業から見えてきたもの



熱田忠男さん

 私の住んでいる所は、九十九里海岸の、銚子寄りのところで、野栄町です。レジュメの通りの順序で話せるかどうか、たくさん書いてしまったので、時間が足りなくなったら、質問の時にお願いします。

1.農薬

 電車で来たので、窓から回りの景色をずっと見ていました。1時間の間に、田んぼで作業している人は5人ぐらいでした。畦の草取りが主で、年配の方です。昔だったら今ごろの季節は、最後の草取りをしている時です。大変な作業で、除草剤がいかに便利で農家にとって手放せないものかが実感されます。ナッパの会の消費者の人は必死になって草取りをやってくれましたが、ある時、草が取り切れなくなって"除草剤を使って"といわれた。私は使いたくない。消費者の人に使ってくださいといったら、除草剤は誰も使いたくないという。ふつうの消費者は、現場を知らない。だから、どんなに草取りが大変なのかわからない。また、除草剤のこともわからない。ナッパの会員は、体験を通して理解してくれています。こういうことが大事だと思うのです。
 私がなぜ30年間も農薬を使わないで、農業をやってきたか、私の原点には水俣病があります。この話をする前に、一つの例をお話します。静岡あたりは6月頃に田植えが終わり、ちょうど除草剤を撒いたところへ集中豪雨がありました。除草剤の使用方法ですが、"なるべく水をためて、外へ水を流さないでください"となっています。それが集中豪雨であふれて、流れ出してしまった。川へ流れて、海へと流れ込む。
 昔から、水に流すという言葉があります。これは雨の多い国だからいえることで、ゴタゴタがあったとき、水に流せばきれいになってしまう。化学物質を使わない時代、昔の生活だったらいいのですが、時代が変ってきた。でも、今でも気持ちの中にそれがあるんです。集中豪雨で、きれいになっちゃったなあと思う。でも、いまの時代は、海へ流れて行ってから、あとで魚や貝などを通して自分の所へそれが戻ってきます。
 公害病の中で、水俣病が何で大きな問題になったかというと、食物連鎖との関係が大きいからです。カドミウムのイタイイタイ病は食物連鎖ではないんです。おそらく、チッソの工場長は、水に流せば何とかなるという考えが、心の底のどこかにあったと思うのです。
 公団に勤めていた時に、トンネル工事の工事監督もやっていて、汚れた水をそのまま流したくなくて、沈殿槽を作ってくれと予算要求したんです。そこへ水を流すようにしました。
 日本人の心の中に、水に流すという考えがどうも根強くあります。昔だったらいいんですが今はいけない。水俣病は、すごく悲惨な公害病です。食物連鎖の公害病だから、世界中が大きな問題として取り上げたんだと思います。
 私はその水俣病の現場、苦しんで死んでいく現場を目のあたりにしちゃったんですね。当時は奇病だといわれた。誰も近づかない。"近づいたらうつるぞ"などといわれていた時代でした。私は水俣病は、奇病なんかじゃないと思っていました。とにかく悲惨なんです。生まれたばかりの赤ちゃんや、年寄りがのたくっていまして、それはもう、地獄なんです。こんなことが世の中にあっていいんだろうかと思いました。
 私が22ぐらいの年でした。いま57ですが、22ぐらいの時にこういう光景に出会ったんです。当時公団に勤めていた人は、私も含めてゴルフをやったりマージャンをやったりして、今思えば、すごく贅沢な生活をしていたんだと思います。でも、バブルのその贅沢な生活の裏側に、こういう世界がある。それをどうしたらいいんだろう。今やっている自分の仕事って、なんだろうとすごく悩みました。
 "公団に対する市民の目"と題して調査活動をしました。結果は、一部を除いて誰も歓迎していない今作っている江川ダムって何のためにあるんだろう。公団の仕事は、自分が一生やる仕事じゃないんじゃないか。私は農家の出でしたから、一次産業を復活させていかないと、これからも水俣病のような公害問題が起こるだろうと思いました。それ以来、食物連鎖、食べ物の大切さ、危険さ、環境問題を考えていくようになりました。

 いま、アイガモ農法をやっているんですけれど、ここでも農薬の問題が出てきます。アイガモまでも農薬の中に入れてしまうという農水省は、農薬をどう考えているんでしょうか。エッ、と思いました。食酢も殺菌剤になります。皆さんの台所にも、農薬が入り込んでいるということになってしまいます。。
 九州から北海道まで、1年半ぐらいかけて、農家の実態調査や研修でまわったのですが、ハウス農家へ行った時もショックでした。10年ぐらいでその家の人が亡くなるんです。当時の農薬はすごくきついものでしたから。密閉されたハウスの中で10年作業していると、そこの親父さんが死んでしまう。農家が犠牲になって、はじめて農薬の規制の問題が起こってきます。
私たちが小さい時は、みんなDDTをかけられましたが、今は禁止です。農薬が問題になっているのは、それまでなかったもの、化学的に合成されたものだからです。食酢は合成されたものではありません。人が化学的に作った農薬を、いかに使わないようにしていくかが、これからは大事なことだと思います。
 農薬を直接かけているのは、農家なんです。農薬を吸い込んでいるわけです。仕事して疲れているから、そこへアルコールが入る。気持ち悪くなる。そういうケースが多いようです。しかし、消費者の人は、すぐに被害が出るわけではありませんから、それだけ気がつかない。でも、農薬は徐々にきいてきます。

 これは近所のおばあさんが薬局へ行って買ってきた、ダイシストンという薬です。ナスに使うんだという。ナスはもう収穫期です。薬局でよく売ってくれましたね、といったんです。薬局は儲かればいいんでしょうけれど、本当は何に使うか聞かなければいけません。この薬は、2か月間ききめが持続するんです。この袋にも、"残留毒に十分注意する、間引き菜は食用にしない。薬が効いている間は食べてはいけない"とちゃんと書いてあります。
 この成分は、根から吸収されて、植物体全体に行き渡るんです。虫が葉っぱを食べると、死ぬような薬なのです。だから間引き菜などには使ってはいけないと書いてある。でも、これが意外に家庭菜園で使われているようです。気をつけないといけません。
 また、使用基準にも、矛盾があるんです。ダイコンは播種または定植時に使うと書いてある。夏のダイコン、冬のダイコンとは区別していない。夏のダイコンは、2か月もすれば収穫されます。ということは、6〜8週間効き目があるのですから、種まきの時に使っても、残効期間中に収穫することになってしまうわけです。
 キュウリは定植前に使っても、植えて2か月たらず、1か月ちょっとで収穫が始まる。つまり。農薬の使用基準それ自体に矛盾があるのに、メーカーに聞いても回答なしです。
 スミチオンは、一般的によく使われています。キュウリは前の日まで使える。カキは30日、セロリーは14日、ホーレンソウは21日となっている。同じ薬なのに、こんなに差があるのは、どうしてなんでしょう。これは、こういう試験をしたけれど大丈夫だった、ということなんです。キュウリは前日に使っても大丈夫だった。でも、ほんとに安全なのかどうかは、わからない。あとになって、詳しく調べたら、やっぱり危険だった、ということになるのかもしれません。
 食物連鎖の怖さから考えると、"農薬を基準どおりに使っています"といわれても、私には納得できないことが多いんです。もし、農薬に色がつき、ダイコンに農薬の色がついてきたら、誰も買いませんよね。農薬に色がないので、気がつかないだけの話です。

 人間の歴史の中で、農耕の歴史は長かった。だから、2世代ぐらいさかのぼると、農家が多いと思います。誰でも農業はできると思うのですが、難しい農学だけが栄えて、農業をする人がどんどん減ってしまい、遠い存在になってしまいました。
 農業をはじめて、初めて菜ッパの種をまいて、発芽した時は感動しました。植物は種が落ちたところが、自分の住処になる。その意味では難しい作業ではないはずですが、無農薬で始めようとすると、けっこう大変です。
 庭でスイカをたべて、芝生の中に種が落ちたのでしょう。次の年に芽が出てきました。芝生の中で、何も肥料をやらないのに大きなスイカが採れました。たまたま、芝生と石の間に育ったのがよかったのかな、と思いました。芝生の中だけではこうはいかなかったのかもしれません。何も手をかけていなかったのに、とてもおいしかったのです。野菜でも何でも、そんなに難しく考えなくてもいいのかもしれません。植物は私たち人間よりも、自立心が旺盛なんですね。ただ、いいものをたくさん収穫するとなると、これは大変なことなのですが。
 また、無農薬でしようとなると、これもけっこう大変です。それにいま、種そのものが昔と変ってきています。種袋を見ると、裏に産地が書いてある。最近はアメリカ産もふえている。オーストラリア産などいろいろです。種まで外国産のものが多くなっています。食料自給率を考えたとき、種まで自給しているかと考えると、もっとこの数字は低くなってしまうでしょう。
 鶏の卵の自給率は9割というけれど、餌を作っているのは外国で、そこからの輸入です。日本の鶏が産んでいても、輸入の餌ですから、本当の自給率は1割ぐらいになってしまうのかもしれません。食料の自給率は4割といわれているけれど、もっと低いと思っています。米だって、日本の水田の3分の一は休耕田で、お米を作っていないのですから。牛は成体で輸入して、日本で何か月か飼うと国産牛になってしまう。すると、自給の中に入ってしまいますが、本当はこれも問題です。
 お米、野菜作りは、その気さえあれば、誰にでも作ることができます。それをする場所があれば、機械があればの問題は出てきますけれど。場所がない、という問題があるかもしれません。そうした場所を、この秋にでも立ち上げようかと思っています。そうした質問などがありましたら、終ったあとにでも来てください。

2.害虫、益虫、雑草

 これは人間が決めた区別なのですけれど、害虫を食べてくれるから益虫といっています。人間の都合で区別しているんです。この考え、人間社会に当てはめると危険だなと思います。差別の考えにつながっていくんです。
 役立つものと役立たないもの、こうした区別ではなく、共存できるような農法、共存していくために害虫・益虫と区別しないでいける農法を探ろうと思っています。例えば不耕起、耕した所と耕さない所と比べてどうなるか。面白いことが見えてきそうです。そうしたことも追求しています。
 家庭菜園のナスは、今ごろになると、ダニとアブラムシで具合悪くなってくる。葉が黄色くなって枯れていきます。何年か前から、通路は草をはやし、茂ったら上だけ刈り、常に通路に草をはやすようにやってみた。すると、ダニの被害が少なくなりました。これはダニを食べる何かが草むらの中に居るんだろうと考えられる。水分状態が変ってくるのか、なんともいえないけれど、環境が変る。雑草も役に立つ。雑草は害ばかりではなくて、ダニも害虫ではなくなるんですね。共存関係でやっていけるもの、そういうものがいくつかあると考えられる。今年は、ナスの中にハーブのバジルを植えて見ました。何かの結果が得られるかもしれません。
 セイタカアワダチソウには、びっしりと赤いアブラムシがつく。しかし、すぐ脇の草には行かない。このアブラムシは、別の草がきらいなんですね。こういう組み合わせがいっぱいあると思うんです。農薬を使わなくなると、こういう研究もどんどん進むと思うんです。こういう研究は進めて欲しいのに予算は下りないし、農薬会社は当然研究はしません。こういう点では、いま、キューバがすごいです。科学者がどんどん取り組んでいるようです。

 農薬を使わないと、手間がかかります。何回も草取りしなくちゃならない。私の労働時間を計算すると、時給が300〜500円ぐらいかな、これ、趣味の段階です。誰もやりません。今は高校生だって800円ぐらいでしょう。安ければ誰も仕事しませんよ。
いま、私は朝5時に畑へ行って、夕方の7時までやっています。だから、趣味でなければ農薬を使うことになる。農家の人に趣味でやってくれなんて誰も言えません。家庭菜園がなんであんなに元気でやれるかというと、あれはみんな趣味の農業です。稼ぎ口が別にあるから、趣味で家庭菜園をやっていけるんです。私はその趣味のような農業に全生活をかけているんです。家族が大変ですよね。
 ほんとは、農業って素晴らしい職業なんです。でも、お金にならない。工場はみんな労働力を欲しがっているんです。みんなが農業を素晴らしいと思い、農業から離れられないと困るから、工場はそれより労働条件をよくして有給休暇や労働時間を考える。誤解しないで下さい。農業よりもいい条件にしないと人がこないから、そうしているんです。
 昭和36年に農業基本法を作ったときのこと、思い出してください。田んぼを区画整理して、お米を作る人、野菜を作る人、鶏を飼う人と区別して人手をかけないようにし、その余った人を工場へ誘い込んだんです。
 もっと農業に魅力があればいいんですが、お金の魅力って大きいですよね。かなわないです。お金の魅力に引かれない人でないと、農薬や化学肥料に頼らない農業をしていくのは大変かもしれませんね。おじいちゃん、おばあちゃんが年金で暮らしながら農業をやっている。それと趣味の人です。こういう状況ですから、自分は手を汚さないで、"安全なものを農家で作って欲しい"とずっと待っていても、農家は作ってくれません。
 私も生協と一時かかわっていましたが、虫が1匹いてもだめなんです。だから農薬を使わざるをえなくなる。最低限の表現で、低農薬とか減農薬などの言葉になる。普通の農家でも、もう少しは農薬を減らせます、という話になってくるわけです。
 生協のトップの人も、今はもう農家を助けてあげることはできないといっています。だから、安全なものを海外から輸入する話になっていきます。有機農産物も、商社が海外に作ってもらうようになるでしょうね。

 日本は雨が多いですから、草がよく生えます。このように消費者がかけつけて手助けしてもらっています。
 これは餅つきのときの写真です。いま、まちで売っているものは、混ぜ物が多いですから。
 これは味噌作り。これは、朝日スクランブルが取材にきてくれたときの写真です。生産者の収穫から消費者のそれを放映してくれました。
 どこかで生産者と消費者が手を結ばないと、安全なものを作ることはできないのではないかと実感しています。

 畑で除草剤を使わないと、こういう状態になります。昔は、農繁期だから学校を休むというのがありました。今のおばあちゃんたちは、みんな草とりで腰を痛めています。
 紙を使って、草を抑える方法を考えていますが、これは紙資源の問題もあるから、むずかしい。
 カモに草を食べてもらう。すると、最後はそのカモを食べなくちゃならない。これも食の教育ですね。よその命を頂いて、人間も生きている。大事なことです。田んぼにいる間のカモは、肉がないので、3か月ぐらい餌をやって太らせます。でも、殺さないと食べられない。
 業者にやってもらっていますが、少し自分でも殺します。大事な教育なんですね。みなさん、牛を殺せますか? 自分で殺せないものは、本当は食べられないんですよね。誰かがやってくれるけれど、ホンとは自分でそれをしないといけないんです。
 この写真は、収穫祭です。アイガモの焼き鳥をやりましたが、最高においしい。好評でした。消費者の人で燻製が上手な人がいて、これもとても好評でした。食と結び付けていく。こんな方法で努力しています。