第5章 干潟は生命のゆりかご−潮干狩りの経験から−



演習で、三番瀬を船からみる機会がありました。エンジンを止め、棹をさしてみると、水深が1mもありません。海水は思ったより透明で、水のなかで揺らぐ太陽の光がとても印象的でした。昔の思い出がよみがえりました。また、魚の稚仔魚がこの海で過ごすという話も聞いて、私はこの海が「生命のゆりかご」だと感じました。それは、酸素が十分に供給されるという干潟の環境特性によるものです。

遠足で潮干狩り

 私の出た東京新宿区の小学校は、毎年春の遠足で谷津干潟へ潮干狩りに行きました。昭和24(1949)年4月、私は初めて“海へ行く”というのでうれしくて、朝早く目を覚まし、ワクワクしながら山手線の目白駅に集合しました。日暮里駅で京成電鉄に乗り換え、谷津遊園駅(現在の谷津駅)に到着しました。
干潟はどこからでも入っていけて、そこには広大な鉛色の砂泥質の砂浜が広がり、他校の小学生たちが大勢、既に潮干狩りを始めていました。いくら走り回っても、波打ち際には直接近づけず、“海は青いもの”とばかり思い込んでいた私には驚きでした。すぐに友だちと一緒に潮干狩りに夢中になりました。

    当時は今のようにビニール袋が無いので、紐を通した布袋を母に作ってもらい、大きなアサリだけを入れて持ち帰りました。帰りの電車では、潮干狩りの興奮さめやらず、袋の中を見せあったりして誰もが満足の笑顔でいっぱいでした。そして、髪の毛や洋服からは海の香りがいつまでも漂っていました。

子どもたちと家族で潮干狩り

 昭和43年から45年まで(1968〜1970)の2年間、千葉の八千代台に住んでいました。昭和44(1969)年4月、両親や弟妹と一緒に当時4歳の娘と2歳の息子を連れて、幕張の海岸へ潮干狩りに行きました。
 広大な砂泥質の干潟は、どこからでも入っていけました。水平線ではなく地平線が見えるほど、水際は遠く離れていました。人、人、人、辺り一面、家族連れで賑わっていました。どこまでも続く遠浅の海は、至るところでたくさんの貝が採れ、2歳の子どもがオモチャの熊手で掘ってもすぐバケツがいっぱいになるほどでした。
 もちろん、いくら採っても無料。ここが現在とは大違い! 取り放題といっても暗黙の了解として、大人一人はバケツに一杯分位までで、あとは海に戻しました。目を閉じると、笑い声や、泥んこになり、目を輝かせながら、口をぎゅっと結んで、夢中になって貝を採ったり、潮だまりにいるカニや小魚を捕まえようと、嬉々として走り回っていた子どもたちの様子が昨日の事のように鮮明に思い出されます。
 その後、転勤を繰り返し、昭和57(1982)年再び千葉に戻り、子どもと自転車で幕張の海岸に行ってみると、かつては潮干狩りで賑わっていた干潟は埋め立てられており、ススキやアザミが風になびく広大な原野に変わっていました。海岸に近づくと、狭い砂浜のすぐ先に水際があり、そこは人工海浜でした。
 広大な原野は、今や幕張新都心となり、子どもたちと潮干狩りをした思い出とは一変して、次々に押し寄せる近代化への変貌ぶりに不思議な思いがします。

干潟とは

 陸と海の接する海岸線のうち勾配が緩やかで、潮の干満にともない海底が干上がる地域を言います。河口周辺に発達する「河口干潟」と海岸の前面に広がる「前浜干潟」、あるいは海水が流入する汽水湖内に発達する「潟湖干潟」の3種類に分けられます。かつて三番瀬の陸側に広がっていた干潟は前浜干潟でした。三番瀬は大潮の時に部分的に干出しますが、干潟というよりも干潟の沖合いに広がる浅海域といえます。
 干潟を構成する底質と、上部にある水の由来は何でしょうか?

 水の由来は陸起源の淡水と、海水です。陸からは、河川水と地下水が流入しています。海水は潮汐によって、1日に2回の潮が引いたり満ちたりを繰り返します。海水と淡水が一様にではなく、場所によってさまざまな割合で混じりあう、多様な汽水域であることが特徴です。
 また、海底の砂や泥は、河川から供給される土砂が海水の流動による系外への持ち出しとの、バランスの上に成り立っているものです。ダムや砂防ダムが数多く建設されたり、川の護岸工事の結果、河川からの土砂の供給が以前に比べると少なくなっている現在、干潟の保全について考える際には、流域全体を考慮してほしいと思います。
 このように干潟は1日に2回の干満を繰り返すので、そこで暮らす生き物にとっては、刻々と激変する環境に対応しなければなりません。しかも、台風や大雨などの季節的な変動にも耐えなければなりません。ダイナミックな環境変動が干潟という環境を特徴づけています。干潟は、人間がかかわるはるか以前から、土砂の流入と流出のバランスのもとに維持されてきました。

酸素が豊富

 砂や泥の表面は干出時には空気に直接ふれ、冠水していても水深が浅いため十分酸素があります。海底が少し深くなると酸素の供給がなくなり、還元環境になります。
 ところが、穴を掘ってすむゴカイ類やカニ類が自分の呼吸のために穴の奥でポンプのように外部の水を巣穴内に引き込むことにより、穴の奥深くまで酸素のある水が届き、好気的環境になります。その結果、好気性細菌による分解が促進されます。有機物の分解速度は嫌気的よりも好気的環境の方が速く、これも干潟の高い浄化能力の要因です。

盤洲干潟と三番瀬

 盤洲干潟は木更津市の小櫃川河口部にある砂質の前浜干潟で、沖合い2Kmあまり続きます。ここは、前浜干潟・河口湿地・藻場など干潟の全てが残っている東京湾内に残る唯一の自然干潟です。三番瀬が失ったヨシ原、塩性植物群落、水田地帯からなる後背湿地も健在です。
 三番瀬は、干潟部分がほとんど埋め立てられ、浅海域が残ったものです。産卵の場、稚仔魚の生育の場である藻場もなくなりました。それでも浅海域は、稚仔魚の生育の場となっています。三番瀬にとって藻場の再生は切実な問題です。
 2003年12月23日付け読売新聞では、NPOの三番瀬環境市民センターが、行徳・南行徳・船橋の3漁協の協力を得て、市川、船橋沖の3か所にアマモの株を移植し、生育できたと報じています。
(疋田洋子)


みんなで考えよう。
  • 藻場が失われた今、藻場に産卵していた生物はどうしたのでしょうか?
  • 既に埋め立てられた干潟は、現在どうなっているでしょうか?
    • 三番瀬の浦安側       
    • 三番瀬の市川側
    • 三番瀬の船橋側  
    • 三番瀬の習志野側
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