No.1276 2014/07/19(土)

 ミルンヤンマ


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 観察会の参加者の方が小糸川の渓流で見つけた体長7センチほどの立派なトンボ(写真1、2)。ミルンヤンマである。房総丘陵の渓流においては、ミルンヤンマはヤンマ類の中でもっとも多く見られる種と言ってよいだろう。

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写真1
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 ところで、日本固有種なのに「ミルン」とは不思議な名前だと思われるかも知れない。これは明治時代に日本で活躍した地質学者ジョン・ミルン氏(John Milne)にちなんで付けられた名前なのである。
 ミルンヤンマに学名を与えたのは19世紀ベルギーのトンボ研究大家セリー男爵(Baron Edmond de Sélys Longchamps)である。1883年のその著書『Les Odonates du Japon(日本のトンボ類)』において、ミルンヤンマを新種として記載した箇所には「この種名を、日本の科学の発展に大いに貢献した東京大学動物学教授ミルン氏に捧げる」という記述がある。この「動物学」教授というのは間違いだが、別の箇所では「地質学」教授と正しく記述しているところをみると、セリーはミルンのことをあまりよく知らなかったようだ。
 日本を訪れたことのないセリーは、友人である英国の昆虫学者マクラクラン(Mac Lachlan)のコレクション、および彼を通じて入手したルイス(Lewis)、プライヤー(Pryer)およびミルンのコレクションに基づいてこの本を執筆したと書いている。ルイスは甲虫の研究家として、プライヤーは『日本蝶類図譜』の著者として知られ、2人とも日本に住んだ英国人商人であった。この中でミルンだけが昆虫の専門家ではない。

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写真2
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 英国人ミルンは1876(明治9)に25歳で来日し、1895(明治28)年までの約20年間東京大学で教鞭を執った。この間、火山や地震をはじめとする研究に励み、その業績は日本の地学研究の礎として今も高く評価されている。彼は研究のために日本中を探検し50以上の火山に登ったそうだ。これだけ山を歩いていれば、渓流に棲むトンボを採集していても不思議ではない。昆虫学者としてのキャリアは知られていないが、きっとすぐれたナチュラリストであったのだろうと想像する。セリー男爵がうっかり動物学教授と書いてしまうほどに。
 今から130年ほど前、極東の異国の薄暗い渓流を音もなく飛ぶミルンヤンマを見つけたとき、若きミルンは何を想ったのだろう。
 (尾崎煙雄)

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 ミルンヤンマ Planaeschna milnei(ヤンマ科)

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