No.1706 2019/06/19(水)

 三舟山からの眺望


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 君津市の街なかから南側を眺めると、テーブルのような形をした高まりが見える(写真1)。これが標高138.7mの三舟山である。地名には「山」という文字が入っているが、成因的には、房総半島北部に広がる下総台地と同じような、「台地」あるいは「段丘面」といわれる地形である。房総半島南部は隆起傾向にあるので、三舟山は侵食が進み、丘陵化している。しかし山頂部には平坦面が残っていて、海成砂礫層の上に関東ローム層が厚く堆積している(杉原ほか,1978)。この火山灰層の最下部には、箱根小原台テフラ(Hk-OP)が挟まれていることから、三舟山は酸素同位体ステージ5cに対比される段丘面(10万年前頃?に陸化)と考えられている(貝塚ほか編, 2000)。

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写真1
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 さて三舟山のふもとの駐車場からマテバシイの遊歩道を登っていくと、初めはやや急な斜面が続くが、じきに平らな地形になる。そこには「三舟山陣跡」と書かれた表示板と解説板が置かれている(写真2)。戦国時代末期にこの付近で北条氏と里見氏の合戦が行われ、その際、北条氏がこの平坦な山頂部に陣を構えたということである。陣場としての利点があったのかもしれないが、合戦は北条氏側が敗北したということである。

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写真2
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 さらに遊歩道を進むと、駐車場が真下に見える位置にコンクリート製の新しい展望台があり(以前は木製のもう少し高い展望台だったが、数年前に改修したらしい)、スマホを掲げた人たちが熱心に写真撮影をしていた(写真3)。ここからは、小糸川の両岸に広がる君津市街や埋立地に立地する工場、周辺の地形はもちろんのこと、天気が良ければ湾岸に沿って東京方面を眺望することもできる(写真4)。真正面の建物は君津市役所で、このあたりのランドマークになっている。市役所の周辺や、その手前側の住宅が密集する地域は、小糸川下流の低地である。展望台からは小糸川の流れを見ることはできないが、この先で東京湾に注いでいる。またそれよりさらに手前の植生に覆われた少し高い地域(上野台〜下湯江地区)は、小糸川の河岸段丘である。上から見るとほぼ同じ高さに見えるが、少しずつ高さの違う何段かの平坦面があり、小糸川が徐々に大地を削っていったようすが想像できる。これらの段丘面は、火山灰の分析から、2〜4万年前の最終氷期頃に形成されたということがわかっている。

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写真3
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写真4
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 一方、写真後方の海に浮かぶ島のような高まりも、木更津市から君津市かけて分布する段丘面である。これらは三舟山とほぼ同時期に形成された地形で、段丘面は侵食され、丘陵化している。しかし眼を少し内陸(東側)に向けると、同じ時期に形成された地形が、定高性のある一続きの段丘面のように見える(写真5の後方の平坦面)。地形図でみると、このあたりも段丘面は侵食され、尾根状に断片的に分布するにすぎないのだが、三舟山の展望台からやや距離があるので、侵食された部分が見えなくなり、断片的な段丘面が一続きの地形のように見えるのであろう。このあたりの地形が「山」ではなくて、「台地(段丘)」なのだということが感覚的にわかるような気がする。高いところから遠くを眺める効果がこのようなところにある。

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 なお三舟山山頂は、数年前のNHKの大河ドラマ「八重の桜」のロケ地にもなっていたようだ(写真6)。房総半島とは関わりのないテーマだったと思うが、三舟山からの眺望がドラマに使われていた。どんな場面に使われていたのか、もう一度見てみたいと思う。
 (八木令子)

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写真5
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写真6
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 杉原重夫・吉村光敏・細野 衛・森脇 広(1978):房総半島南部の後期更新世テフラ層と海岸段丘について. 第四紀研究, 16, 255-262.

 貝塚爽平・小池一之・遠藤邦彦・山崎晴雄・鈴木毅彦(編)(2000):日本の地形4 関東・伊豆小笠原. 東京大学出版会, 349p.

 


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