No.1717 2019/07/19(金)

 三島小学校の1964年東京オリンピック記念碑


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 2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催までちょうどあと1年となった。来年の今頃はどのようなことになっているのだろうか。

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写真1
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 オリンピックと言えば、今年の4月に房総の山のフィールド・ミュージアムの担当になり、三島小学校をしばしば訪れるようになってしばらくした頃から、私は学校の入口の脇に置かれた記念碑が気になっている(写真1)。表側には、「オリンピック東京大會」と書かれたタイルがはめ込まれ(写真2)、その右側の側面には、「1964 三島小中学校PTA建立」という文字が掘られているのである(写真3)。1964年の東京オリンピックの時に、三島小学校と中学校(当時ここにあった)のPTAの方達によって建てられたものということであろうが、どのような経緯だったのだろうか。周囲の方に聞いてみたが、皆さんわからないと言う。清和公民館が発行している「館報せいわ」第364号(平成29年9月)にも、この記念碑の存在の意味を書かれている方がいらしたが、経緯についてはふれられていなかった。

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写真2
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 一番考えられるのは、地元出身の方が1964年の東京オリンピックの何かの競技に出て、それを記念して建てたのではないかということである。そこで調べてみると、1964年の東京オリンピックの出場選手の中に、君津出身の方がいたのである。君津中学−木更津高校を出て、陸上の三段跳びで出場した岡崎高之氏で、決勝に残り10位という成績を残している(千葉県文書館のミニ展示「千葉県とオリンピック東京大会」参考資料より)。また近隣では、木更津市内の中学−木更津高校出身の大坪政士氏という方も陸上棒高跳びで出場されている。ちなみに岡崎氏は、1960年のローマオリンピックにも走り幅跳びで出場している。いずれにしても三島小中学校とは直接の関わりはないかもしれないが、身近な地域の代表選手への敬意を表して記念碑を建てたということはないだろうか。あるいは当時はふつうに学校の校庭にオリンピックの記念碑を建てていたのだろうか。どなたかご存じの方がいれば教えていただけるとありがたい。

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写真3
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 なお三島小学校の先生にこの記念碑のことを伺ったところ、学校のようすを児童達が描いた大きな絵(かなり前に描かれたもので、現在学校の廊下に飾ってある)の中では、校庭の隅にある記念碑の上にポールのようなものが描かれており、以前は記念碑を、旗を立てる時のポールの土台として利用していたのではないかということを教えていただいた。
 (八木令子)

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