教室博日記 No.1781

 2020/03/06(金)

 峰山のキャンプ場展望台からの眺望-河岸段丘

 3月初旬の晴れた日の午前、三島ダム北側の稜線上にある峰山キャンプ場の展望台(標高210メートル、写真1)から、南方向の地形をのんびりと眺めた。

  • 写真1 キャンプ場の展望台と愛らしい番犬

 遠くには房総丘陵に特徴的な細かい谷に刻まれた低山が連なり、近景は曲流する河川(このあたりは三島湖)沿いに、少しずつ高さの違う平坦な地形が分布している(写真2)。

  • 写真2 展望台からの地形景観

 このような川に沿った段々の地形を「河岸段丘」というのだが、その上には集落や田畑、そして広い運動場に赤い屋根(少し色が薄くなっている?)の三島小も見られる。河岸段丘の平坦な部分(段丘面)は、かつて小糸川がその高さのところを流れていたということで、証拠として、表層には河原にあるような丸い礫(円礫)を含む段丘堆積物が見られる(写真3、4)。ただし房総丘陵の河川沿いは、円礫をほとんど含まない段丘堆積物もある。

  • 写真3 三島ダム上流の旅名地区で見られる段丘堆積物
  • 写真4 三島ダム上流の旅名地区で見られる段丘堆積物

 小糸川は蛇行しながら平坦な地形をつくり、その後大地を削って(下刻という)現在の高さまで下がっていった。平坦面の高さが少しずつ違うのは(写真2で高い方からⅠ~Ⅴと表示)、大地を削る力が強い時期が何回かあったからで、このあたりでは少なくとも5回はそういう時期があったということになる。その時代はいつ頃かというと、三島小のあるⅢの高さの段丘面ができた(陸地になった)のが、今から6千年前頃、一番低いⅤの面はおよそ2千年前頃、一番高いⅠの面でも1万年前頃で、地質年代としては最近の出来事といってもいい。これら新しい時代(現在も含む完新世)の段丘面は、房総丘陵を流れる小櫃川や養老川沿いにも分布しており、総称して「久留里面」と呼ばれている(鹿島, 1982)。ちなみに三島ダムより少し上流の小糸川にかかる旅名橋周辺には、6千年前頃陸地になった久留里Ⅲ面が広く分布し、小糸川の現河床との高さの差が実感できる(写真5)。その比高差は20m以上ありそうだ。6千年間で20m、単純に平均すると1年で約3.3mm大地を削っていることになる。

 峰山の展望台から地形を眺めながら、自然の力というのはすごいものだと改めて思った。なお今回、展望台に登らせてくださったキャンプ場「フォレストパーティ峰山」の方にお礼申し上げる。

  • 写真5 久留里Ⅲ面と小糸川現河床面との比高差(旅名橋から)
  • 【引用文献】
  • 鹿島 薫(1982):小櫃川流域と養老川流域の更新世末期以降の地形発達史. 地理学評論 55-2, p.113-128.

(八木令子)