教室博日記 No.1803

 2020/05/13(水)

 小糸川の釜神橋と房総往還

 小糸川河口から少し遡ったところに架かる橋のそばを通った。やや古びた橋だが、遠目では赤と白のコントラストが初夏の緑色に映えている(写真1)。橋の欄干に埋め込まれたプレートを見ると、「かまがみばし」とある(写真2)。

  • 写真1 小糸川に架かる橋(君津市貞元)
  • 写真2 橋の欄干にはめ込まれたプレート

 そのまま通り過ぎようとしたところ、「21世紀への継承遺産」という説明板が目にとまった(写真3)。それによると、現在のJR君津駅の方から、この釜神橋を渡り、三舟山の方に行く道は、江戸から安房北条(館山市)に至る古道「房総往還」のひとつということである(写真4)。もっとも小糸川は、大正11年に釜神橋が架けられるまでは、渡し船か、川を歩いて渡らないと通行できなかった。そのためこのあたりには「釜神の渡し場」が設けられており、会所(集会所)、三河屋、米屋、鍛冶屋、足袋屋、菓子屋、酒屋、床屋、豆腐屋、仕立屋などの商店や旅籠が道に沿って並び、宿場を形成していたという。現在は古い住宅地と新興住宅地が共存する、郊外の静かな佇まいで(写真5)、当時の面影はほとんど感じられなかった。

  • 写真3 房総往還の説明板(君津市)
  • 写真4 房総往還のルート(写真3の説明文の概略図)
  • 写真5 現在の釜神の街並み

 その後、以前「河岸段丘」の調査をしていた三舟山のふもとの下湯江地区を歩いていると、再び房総往還の道標が目に入った(写真6)。その先に続く道は古道のイメージそのもので、三舟山の方に向かっていた(写真7、8)。いつかこの房総往還を、行けるところまで(館山までは無理か)辿ってみたいと思う。

 なお釜神の渡し場に初めて橋が架かったのは、大正11年ということだが、現在小糸川に架かる「釜神橋」の設置年代は昭和49年とある(写真9)。一度改修しているようである。

  • 写真6 下湯江地区の房総往還
  • 写真7 段丘面に上がっていく房総往還
  • 写真8 道が二股に分かれ、右側が房総往還(富津方面へ)
  • 写真9 読みにくいが、「昭和49年11月竣功」とある

(八木令子)