教室博日記 No.1839

 2020/07/24(金)

 河岸段丘を調べる

 今から30年近く前、中央博物館が開館してまだそれほど時間がたっていなかった頃、小糸川流域の地形地質の観察会を行うことになり、流域の地形の調査を始めた。まず取りかかったのは、小糸川下流から上流にかけて分布している河岸段丘(写真1)の調査である。

写真説明
  • 写真1 人見神社から見た小糸川下流の地形

 河岸段丘というのは、河川沿いに分布する平坦な地形で、現在の河床や川沿いの低地よりは標高が高く、よく見ると何段かに分かれ、段々の地形になっていることが多い。外から見ると、一見植生に覆われたふつうの山(丘陵)という感じだが(写真2)、段丘の上に登ると、別世界のような平坦な地形が広がっている(写真3)。これらは、かつて川がその高さのところを流れていたことを示す地形で、河川の下刻が進むと、陸化して段々の地形が形成される。

写真説明
  • 写真2 小糸川左岸の河岸段丘(上湯江地区)、ここでは2段ある
写真説明
  • 写真3 段丘面上の平坦な地形

 このような河岸段丘の調査というのは、まずどこに、どのような段丘面が分布しているのか調べ、それらがいつ頃、どのように形成された(陸地になった)のかを明らかにするのが基本である。

 段丘面の分布に関しては、流域をくまなく歩いて見てまわるわけにもいかないので、国土地理院や林野庁などが撮影した空中写真を判読して(同じ地域が写っている2枚の写真を使って立体視する)、その結果を地形図上に表し、予察的な分布図を作成する。その作業を続けていくと、無秩序に分布しているように見える段丘面が、河床からの比高が同じくらいのいくつかの面に分類され、それぞれ下流から上流にかけて断続的に分布していることがわかってくる。

 一方、段丘面がいつ頃、どのように形成されたかを調べるためには、段丘面を構成している堆積物が観察できそうな場所を地図上で探し、実際に行ってみて、良好な露頭があれば、表層の堆積物を中心に調査する。段丘面が河成面であれば、河床に見られるような円礫からなる段丘堆積物が挟まれている(写真4)。これらの厚さ、礫の大きさや種類、密集度などを観察して、どのような環境で、どのような河川の流れがあったかを考えていく。

 同時にこれらがいつ頃形成された(陸地になった)のか、年代に関するデータも見つけなくてはいけない。幸いなことに、小糸川流域の比較的高い段丘面については、段丘堆積物の上に火山灰層(関東ローム層)がのっているので(写真5)、その厚さや噴出年代がわかっている特定の層準(キーベッド)を詳細に分析することにより、段丘面が陸化した時期をある程度特定できる。

写真説明
  • 写真4 円礫からなる段丘堆積物(上湯江地区)
写真説明
  • 写真5 表層の火山灰層(下湯江地区)

 30年ほど前にこのような調査を長い時間かけて行い、小糸川流域では、今から2~4万年前頃の気候が冷涼だった最終氷期から、暖かくなる時期にかけて形成された段丘面が何段も分布していることが明らかとなった。その後行われた地学の観察会では、段丘面を歩き、段丘堆積物や火山灰を観察した。しかしせっかくの研究成果を論文にまとめ、公表していないことが長いこと気になっていた。そこで昨年から君津地域の調査をする機会に恵まれたのを機に、もう一度分布図を見直して、かつて露頭調査した場所にできるだけ行き、フィールドノートに記載された柱状図の確認や、火山灰層の再調査を行っている(写真6)。

 数十年もたつと、大規模に地形改変されて露頭そのものがなくなってしまうことは多いが、この地域ではそれはほとんどないようだ。しかし以前は地層がよく見えていた崖が植生で覆われ、崖が崩れて地表面のようすがよくわからないなど、露頭の状態はあまりよくない。あるところでは、火山灰層を削ろうとしたら、小さなハチの巣にあたってしまい、何もできずに逃げ帰ったこともあった。以前と同じような露頭が残っているのは、段丘面に登る細い道の両側の切り通しの崖(写真7)などである。日中でも薄暗く、あまり長居したくないが、こういう貴重な場所で地道にデータを加えていくことが必要である。まだ少し時間はかかるかもしれないが、成果をまとめていきたいと思っている。なお露頭の調査には、崖の所有者や地域の人たちへの配慮が必要である。

写真説明
  • 写真6 30年前と同じ?露頭で調査をする(萩野台)
写真説明
  • 写真7 段丘面に登る道の両側の切り通しの露頭

(八木令子)