教室博日記 No.1886

 2020/10/28(水)

 粟又の滝の地層

 今年地学研究科が作成している映像の撮影で、大多喜町粟又にある養老川本流の滝を訪れた(写真1)。以前この滝は「高滝」と呼ばれていたが、近年は「粟又の滝」という観光名が一般化している。

  • 写真1 粟又の滝の遠景

 滝は急なナメ滝で、あまり高さを感じないが、比高は約30メートルあり、安房地方を含め、房総半島の本流河川の滝としては最大の落差である(写真2)。下流から上流にかけてほぼ平滑な養老川の河床面で、唯一高さが急変する遷急点にあたる。滝の地質は、上総層群黄和田層の泥岩で、滝のナメ部分の傾きは、この泥岩の傾きとほぼ一致している(写真3)。

  • 写真2 粟又の滝全景
  • 写真3 ナメ滝の部分に現れた地層(黄和田層の泥岩)

 この滝で見られる泥岩より上部の地層は、川の両岸の谷壁斜面に露出しているが(写真4)、それらを削ってみると、泥岩よりかなり軟らかい白色の凝灰岩層が挟まれているのがわかる(写真5、6)。これはKd18(Kdは黄和田層の略:三梨ほか, 1958など)という凝灰岩層で、この層の存在が粟又の滝の形成に大きく関連している。

  • 写真4 養老川右岸の谷壁斜面
  • 写真5 やや硬い泥岩層の中に白色の凝灰岩層が挟まれる(赤丸のところ)
  • 写真6 上総層群黄和田層中の未固結の凝灰岩層(Kd18)

 というのも、滝の位置が現在より少し下流側にあった時に、このKd18という未固結な地層が河床に露出して、急速に破壊、侵食が進み、図1の断面図に示すように、Kd18に沿った幅広のナメ滝が形成されたからである。その後、ナメ滝表面は水流によって一様に削られ、より急斜した滝面を作りながら、現在の位置まで後退(上流側に移動)していったのである。なおこの滝の形成は、流域の最も新しい段丘面が下刻される時期(およそ2000年前頃?)から始まったと考えられる(八木・吉村・小田島,2017)。

  • 図1 粟又の滝の平面図(下)と断面図(上)(吉村光敏氏 作成)
  •  この図は上流側が左、下流側が右になるように描かれているので、写真で見られる地層の傾きと逆になっている
  • 【引用文献】
  • 三梨 昂・矢崎清貫(1958):火砕鍵層による房総・三浦両半島の新生代層の対比(第1報). 石油技術協会誌 23:16-22.
  • 八木令子・吉村光敏・小田島高之(2017):房総丘陵を水源とする河川流域の地域特性と地形誌. 千葉県立中央博自然誌研究報告特別号(10):21-44.

(八木令子)