教室博日記 No.1908

 2021/01/22(金)

 渓谷橋と黒川の川廻し地形

 小湊鉄道の養老渓谷駅から梅ヶ瀬渓谷へ向かうと、すぐに養老川本流にぶつかり、「宝衛橋」という赤い橋を渡る。この橋から西側の方を眺めると、かなり高いところに、もう一本の青い橋「渓谷橋」が架かっているのが見える(写真1)。「何であんなに高いところに橋が?」と思った後、「あれ?川廻し地形?」と気づいた(気づくのが遅い)。

  • 写真1 養老川に架かる宝衛橋と渓谷橋

 川廻しというのは、川の曲流部で接近した河道の間をトンネルや切り割りで掘削し、直線状の新しい河川(シンカワ)を作る人工改変のことで(写真2)、その結果できた独特の地形を「川廻し地形」と言う(教室博日記No.1727)に詳しい解説)。その多くは、江戸時代(後期)以降に、新田開発を目的に作られたものである。曲流していた旧流路は盛土され、用排水路が整えられて田んぼになる。平地が少ない山間部では貴重な土地である。

  • 写真2 渓谷橋の下は掘削されてできた直線状の流路(シンカワ) 左右両側の崖はもともとは繋がっていた。昭和8年にまずトンネルで新しい流路を通し、その後切り通しになって橋が架けられた。

 この川廻しは黒川の川廻しといい(図1)、昭和8年に作られたものである(藤原,1979)。ふつうの川廻しに比べるとできた年代が比較的新しい。食糧増産の時代だったのであろう。最初は低い位置にトンネルを掘って曲流部を短絡したが、昭和45年7月の集中豪雨(45年災害)の際にトンネル附近に水が滞留し、上流部の温泉街に大きな被害をもたらした。そのためトンネルの部分を切り通しにして、黒川の集落へ渡るための橋を架けたのだという。それが昭和48年に架けられた渓谷橋である(写真3)。

  • 図1 黒川の川廻し地形と梅ヶ瀬川の川廻しトンネルの位置 国土地理院1:25000地形図「大多喜」(部分)に加筆(緑色の部分が旧流路、その内側が黒川地区)
  • 写真3 渓谷橋

 渓谷橋から見ると、養老川の右岸側に露岩の崖があり、川廻しトンネルを切り通しにした場所ではないかと思われる(写真4)。高い渓谷橋からは、短絡した現在の流路と、上流側の幅広い旧流路が見える(写真5)。旧流路(フルカワ)は現河床より数メートル高い位置にある(写真6)。洪水水位を考慮して盛土されたためである。

  • 写真4 川廻しトンネルを切り通しにした場所(手前の露岩の部分)
  • 写真5 渓谷橋から見た直線状流路(シンカワ)と旧流路跡、宝衛橋
  • 写真6 旧流路の断面 フルカワの地表は現河床より数メートル高い位置にある

 なお宝衛橋から黒川の川廻しの旧流路(フルカワ)に沿う道路を進むと、じきに養老川支流の梅ヶ瀬川に沿って道が続くようになる(図1)。支流には何カ所もトンネルの印が見られるが(赤丸のところ)、これらもほとんどが川廻しのトンネルである。この辺りは連続型の小規模な川廻しが分布している(写真7)。

  • 写真7 梅ヶ瀬川沿いの小規模な川廻し地形 旧流路の部分
  • 【参考文献】
  • 藤原文夫(1979)養老川.市原市史 別巻:603-671. 千葉県市原市
  • 吉村光敏.HP「川廻し地形について」http://chibataki.poo.gs/2001tomonokai/kawamawasi/tikeitowa01.htm(公開日:2002年3月10日、最終閲覧日:2021年1月25日)

(八木令子)