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写真16 渡船場 昭和初年 撮影場所:常陸利根川
三島の渡し場で、左の建物が番小屋といって船頭が客待ちをしたり、客が舟待ちをしたりする、いわば待合所的なところ。渡し自体は昭和59年(1984)まで利用されていた。重なって見える右の建物は造船所で、右端には北利根橋も見える。これらの建物があったのは昭和35年(1960)までで、常陸利根川改修工事の一環として行われた引堤工事のために取り壊しとなるまでである。常陸利根川改修工事は霞ヶ浦・北浦の湖水の停滞を解消すべく、昭和23年(1948)からはじめられ、それまで100〜150m程度であった川幅を280〜320mまで拡張し、強堤するというものだった。ちなみに、昭和38年(1963)には境島、昭和43年(1968)には潮来、昭和44年(1969)には加藤洲の引堤が完了している。その際、川縁の家々のなかでは他所へ転居したり、家曳きといって家屋を曳いて動かしたということもある。ただし、牛堀や潮来などは町並みが川に面していることから、もっぱらシマ側の岸辺が削り落とされるになった。この工事はシマの土地改良事業と不可分なものではない。