1.幼少期〜東京時代1

 浅井忠は、安政3年(1856)に佐倉藩の江戸屋敷で生まれました。父の死去に伴い、幼くして家督を相続し、その後家族で現在の千葉県佐倉市に転居しました。
浅井は、幼い頃から絵に興味を持ち、「九歳の頃より藩の画家黒沼槐山と云へる人に就き、花鳥等を描くことを学べり」(『木魚遺響』)と言われています。
 後に上京して、明治9年(1876)に洋画家・国沢新九郎の画塾・彰義堂に入門し、次いで、同年11月には、新設された工部美術学校に入学し、イタリア人画家アントニオ・フォンタネージ(Antonio Fontanesi)から本格的に西洋美術を学びました。

「花鳥図」黒沼槐山 作

「槐庭時代画帳」
浅井 忠作
「草書千字文」浅井忠作 「牛を追う農婦」フォンタネージ作

「少女」 「女の顔」(模写) 「印旛沼」 「風景(1)」

「風景(2)」 「鍛冶橋」 「本所風景」

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