1900年のパリ万国博覧会公式ポスター
出典:『1900年のパリ展』パリ市立プティ・パレ美術館
2014年図録より
 

■ パリ万国博覧会

「Exposition universelle de 1900」
『Wikipedia』「Exposition universelle de 1900」掲載画像2014年3月31日 (月) 11:15
 

  浅井が船でフランス南部のマルセイユ港に到着して、汽車でパリに着いたのは、明治33年(1900)4月17日でした。この数日前より、50数ヶ国参加による盛大なパリ万国博覧会が始まっていました。
19世紀末頃、ドイツとアメリカは重工業部門で目覚ましい発展をとげており、開催国フランスは、国の優位を示すために、テクノロジーのみならず、フランスの洗練された優美なファッションや自織物、装飾品、家具などの装飾美術の展示を充実させました。
これが当時流行していた「アール・ヌーヴォー(新しい美術)」の興隆に拍車をかけました。はるばる日本から訪れた浅井が、ヨーロッパ美術の主流は装飾美術であると印象付けられたのには、こんな背景がありました。
 浅井はフランス滞在中、東京美術学校西洋画教授の身分を捨てて、工芸学校教授への転身を決心しました。いくつかの動機が重なったのでしょうが、博覧会が契機となったのは舞違いありません。
 会場はエッフェル塔を中心に構成されて、博覧会に併せて建設されたグラン・パレでは企画展『フランス美術100年展』が開催されました。この展覧会では新古典主義から印象派までの、19世紀フランス美術を代表する約3,000点の作品が展示されました。浅井には、フランス美術の潮流に触れる機会となりました。