はじめに

千葉では古代より鉄を素材とする鍛冶が行われていました。さらに近世に至ると、西洋から伝わった鋏を和風のラシャ切り鋏や植木鋏に改良した独自の技法が生まれます。また、「房州鎌」「久留里鎌」「佐原鎌」と呼ばれる独特な鎌の生産も始まります。

本編では、鎌や鋏のそれぞれの形状や技術的な特徴を解説し、いつ、どこで、だれが、どのように独自の開発・生産を展開したのか明らかにしていくとともに、鎌と鋏の原型が千葉から発信されたことを紹介します。

 

1 近世以前の鍛冶のようす

(1)道具を作った鍛冶遺構

 房総半島での鉄器の出現は弥生時代ですが、県内の発掘調査事例から本格的に鍛冶が行われた痕跡は弥生時代終末から古墳時代初めの頃で、岩井安町遺跡(旭市)や沖塚遺跡(八千代市)で鍛冶炉跡が発見されています。また、砂鉄などを原料として鉄生産を行う製錬は、7世紀後半(古墳時代終末)から行われ、松原遺跡(柏市)や新東京国際空港敷地内の遺跡群(成田市)の製練炉が知られています。

 

 

 

 

 

 

図3 鉄鉗(奈良時代)
成田市公津原遺跡 本館蔵
図2 製錬炉の羽口/
香取市阿玉台北遺跡 本館蔵
図1 カナハシ(現代)本館蔵

 

 

(2)出土品から見た鎌の形態

 古墳時代初頭から現れ始める千葉県での鎌の形態には、長方形又はたんざく形の直刃鎌と先端を湾曲させた曲刃鎌の2種類があり、後者が次第に多くなっていきます。また、古墳時代の鎌は強度が低いことから根刈りよりもむしろ稲の中間部を刈り取る穂刈りで使用されたと考えられます。なお、中世以降では刃部とコミと呼ばれる柄の装着用の出っ張りが一体となった形態へと変わっていきます。

 

 

 

No

遺跡名

所在地

1

岩井安町

旭市

2

沖塚

八千代市

3

川崎山

八千代市

4

西の台

船橋市

5

松崎

印西市

6

大六天

柏市

7

敷内

栄町

8

柏市

9

呼塚

柏市

10

高部宮前

東庄町

11

小屋ノ内

四街道市

12

中山

四街道市

13

鎌取

千葉市緑区

14

南二重堀

千葉市緑区

15

塚原

木更津市

16

杉場見

千葉市花見川区

17

潤井戸西山

市原市

18

草刈

市原市

19

権現堂

四街道市

20

古山

千葉市若葉区

21

油免

印西市

22

久保谷

山武市

23

白井先

船橋市

24

御林跡

市原市

25

加茂

市原市

26

畑沢

木更津市

27

大道

千葉市緑区

28

寺方

横芝光町

29

台方下平

成田市

30

東谷

木更津市

31

マミヤク

木更津市

32

長須賀条里

館山市

33

中岫

成田市

34

俵ヶ谷

木更津市

35

戸崎城山

君津市

36

沢辺

南房総市

37

岩富漆谷津

佐倉市

38

棒作

佐倉市

39

川焼台

八千代市

40

権現後

八千代市

41

高沢

千葉市緑区

42

入ノ谷

四街道市

43

西原

我孫子市

44

油作

印西市

45

郷野

四街道市

46

油井古塚原

東金市

47

大台

栄町

48

上座矢橋

佐倉市

49

有吉北

千葉市緑区

50

夏見台

船橋市

51

上ノ台

千葉市美浜区

52

印内台

船橋市

53

日秀西

我孫子市

54

長倉宮ノ前

横芝光町

55

市場台

大多喜町

56

高岡大山

佐倉市

57

大崎台

佐倉市

58

宮本宮後

佐倉市

59

木野子大山

佐倉市

60

尾上藤木

酒々井町

61

伊篠白幡

酒々井町

62

打手

印西市

63

大竹林畑

成田市

64

文作

市原市

65

太田法師

千葉市緑区

 

 

図5 鎌/多古町南借当遺跡(中世) 本館蔵図4 中形の曲刃鎌/我孫子市日秀西遺跡(古墳時代後期) 本館蔵

 

 

房総半島における古墳時代鍛冶関連資料出土遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図6 古墳時代鍛冶関連遺跡位置図/『研究紀要27』    千葉県教育振興財団文化財センターより
 

 

 

 


3)棟札に見る鍛冶職人

 中世においては、社寺の建立や再建・修理の際に、建物建立の由緒や施工年月日、願主や工匠名などを記した棟札を掲げることが多く見られます。中世房総の鍛冶職人の見える棟札の一覧は別添のとおりで、安房・上総国の鍛冶職人には受領や官途名を持っている者も多く、戦国大名里見氏に抱え込まれて武士化・家臣化している様子がうかがえます。

 

【鍛冶職人一覧】

和暦

西暦

鍛冶師名前・内容

場所

市町村

1

宝徳元年閏十月廿五日

天文一四天乙巳十二月十七日(追銘)

1449

(1545)

鍛冶 宗吉

   吉純

鎔治 忠光 忠貞

長徳寺

千葉市緑区

2

文明四年

1472

鍛冶右馬七郎

栄福寺

印西市

3

永正四年丁卯十一月廿八日

1507

鍛冶藤左衛門

峰八幡神社

富津市

4

永正五年戊辰九月廿五日

1508

鍛冶雅樂助兼久

鶴谷八幡

館山市

5

永正五年戊辰霜月八日

1526

鍛冶道胤源四郎

常燈寺

銚子市

6

天文九年

1540

鍛冶(ママ)込次郎

瀧山寺

鴨川市

7

天文拾弐年癸卯卯月十七日

1543

鍛冶三浦左嶋宮崎省衛門

諏訪神社

南房総市

8

天文十四年乙巳八月十日

1545

鍛冶〃部左衛門次忠

那古寺

館山市

9

天文十四年乙巳十一月廿八日

1545

鍛冶通田新衛門

石堂寺

南房総市

10

弘治二暦八月廿三日

1556

鍛冶□□

諏訪神社

南房総市

11

弘治二年丙辰月廿七日

1556

鍛冶 緒方新五郎良弼

諏訪神社

君津市

12

永禄二年戊午十一月吉日

1559

鍛冶〃部左衛門次忠

那古寺

館山市

13

永禄五年

1562

鍛冶源左衛門尉

龍性院墓地

鴨川市

14

永禄十年二月十八日

1567

鍛冶皮加部伯耆守

大原神社

君津市

15

元亀三年壬申十二月廿日

1572

山田鍛冶代官丸鍛冶伊豆守

鶴谷八幡

館山市

16

天正十二甲申歳臘月吉日

1584

鍛冶 高梨 内膳

手力雄神社

館山市

17

天正拾肆暦丙戌八月朔日

1586

鍛冶河名治部左衛門

同名勘解由

天神社

南房総市

18

天正十四季丙戌八月十日

1586

鍛冶 弥十郎

那古寺

館山市

19

天正十五季丁亥正月九日五月三日

1587

銀鍛冶三良左衛門 鍛冶周防

神野寺

君津市

20

天正十六戊子霜月十一日

1588

鍛冶手島九良兵衛

個人蔵

市原市

21

慶長七年壬寅正月廿一日

1602

鍛冶大工萩野次郎兵衛康久

鶴谷八幡

館山市

22

慶長十三年戊申七月十八日

1608

鍛冶石井藤左衛門定時

意冨比神社

(船橋大神宮)

船橋市

23

慶長十五年庚戌正月十八日

1610

府馬村 鍛冶 甚八郎 興三郎

修徳院

香取市

24

慶長十五年庚戌正月二十八日

1610

府馬村 鍛冶 甚八郎 興三郎

修徳院

香取市

網掛け欄は、金石文による。なお、本表は『千葉県史料 金石文篇一・二・三(補遺)』からの抽出である。

 

 

(4)中世の鋳物師

図7 上総鋳物師大野家関係資料
大永七年(1527)里見義豊カ判物

 
 この古文書は、安房の稲村城主里見義豊が、上総国菅生庄(木更津市)で鋳物師として活躍していた大野大膳亮に対して、安房の国でも鋳物師の長として地位と活動を保証したものです。諸権力から保証・保護を得る代わりに、権力者の求める鋳造品を提供していたものと考えられます。

 

 房州鋳物大工
 職乃事望申候
 御心得候、不存無沙汰、
 如先例可勤乃也
  大永七年
    十二月廿三日 花押(里見義豊)
           大野大膳亮かたへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 『香取神宮所蔵文書』

応永25年(141893日・同2647日の「仮殿造営用途算用状」に木屋かまえの木とりの山取手間分がみえ、鎌の柄を専門に作る職人が居たことや、番匠鍛冶萱手の手間賃が記されています。また、鍛冶により作られた鍬、釘、かすがいなどの品々を多数注文していることがわかります。

 図8 『香取神宮所蔵文書』
仮殿造営用途算用状 応永廿五年(1418)、応永廿六年(1419)

 

一 一貫文 木屋かまえの木とりの山取
      手間分、 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一 拾五貫文 番匠百五十人手間分、
一 伍貫文  鑣〇冶五十人手間、
一 一五貫文 萱手五十人手間分、