3 鋏鍛冶の発達
近代日本の風俗の大きな変化に、髪型と洋装の変化があります。どちらも洋鋏が重要な道具であったため、優れた洋鋏の需要を満たす製品の製造が急務となり、東京を中心に鋏鍛冶の技術が飛躍的に向上しました。
(1)西洋鋏の製作の始まり
明治に入り西洋風の鋏の製作を手掛けたのは、市原生まれの立野平左衛門(1836〜1908)です。彼は西洋鋏の片側を五井海岸の砂浜で見つけたことがきっかけで、西洋鋏の製作に没頭し、明治10年の第1回内国勧業博覧会には彼の製作した鋏が立野平作名で出品され、褒章をうけています。また、明治15年にはメリケン型ラシャ切り鋏の製作も開始しています。
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図17長信博理髪道具製造賣捌所(国立国会図書館デジタルコレクション
『東京商工博覧絵 上』 明治18年)
(2)西洋鋏作りの継承
西洋鋏の元祖である立野平作の技を引き継ぎ、4代に渡り鋏鍛冶を続けているのが市原の大野家です。初代大野政次郎は明治7年に市原で工場を開き、師匠からもらった「政平」の銘を鋏に刻みました。主に植木や生け花などで使用する鋏を代々製作しています。
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図18 「特選/政平」の刻印と植木鋏(庭師用)
(3)和製ラシャ切り鋏の製作
幕末から明治にかけて輸入されたイギリス製のラシャ切り鋏は、アメリカからの輸入であったことから「メリケン型」と呼ばれ、後に国産化される和製のものとは区別されました。この、メリケン型ラシャ切り鋏に改良を加え、和製のラシャ切り鋏を作り、生涯改良と発展に尽力した人物が吉田弥十郎(1861〜1901)です。
弥十郎は後に弥吉と称し、多くの弟子を育て裁ち鋏界の創始者として慕われました。弥吉の技術は一番弟子の兼吉(保坂金太郎)に受け継がれ、多くの弟子を持つ兼吉派を形成していきます。
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(4)北島和男に受け継がれた技
兼吉派の一人、岩上民太郎の弟子で初代平三郎は戦時中の空襲で東京荒川区を焼きだされ、妻の実家がある松戸の疎開先で、鍛冶を再開します。ラシャ切り鋏の製作をつづけていた初代平三郎が昭和40年に57歳で他界すると、若くして2代目平三郎を襲名した北島和男は先輩の鋏鍛冶職人などから、鍛冶の技や昔の話など多くを学び、優れた技を体得しました。そして、現在では数少ない総火造りでのラシャ切り鋏の伝承者として活躍しています。その技術は、現在に受け継がれ、房総のむらでの実演をとおして多くの人たちを魅了しています。
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図23 ラシャ切り鋏の実演風景(昭和40年代か) 図24 房総のむらにて(平成7年)
(横座:3代目兼吉、先手:北島和男) (左:3代目兼吉、右:北島和男)
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図25 令和元年房総のむら鍛冶屋にて実演 図26 北島和男
(5)ラシャ切り鋏製作手順
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図27 房総のむらで製作されたラシャ切り鋏の製作工程
中央より右側が下指側、左側が親指側である。1枚の鉄板から叩き出しによって左右が作られて
いることがよくわかる。この後に研ぎや磨きを加えて完成する。
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輪拵え(親指) 輪拵え(下指) 荒研ぎ
鳥のくちばしのような形をしたトリグチを使って 鍛造後にグラインダーで表面の凹凸を削って、
輪を広げたり整えたりする。 火造りの状態を確認する。
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足スリ 研ぎ終わり
馬と呼ばれる作業台を使って、ハシや足で押さえ グラインダーとヤスリかけが済んだもの。
ながらヤスリをかける。使うヤスリは、丸・角・平・ ねじを止める部分の内側を叩き凹めている。
カマボコの4種類である。 この痕が総火造りの特徴で柄が鋳物の鋏には
ない。
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ヘラをかける 刃出し
金肌にイボタの粉を振り、ヘラ台に乗せ、 細かい布ヤスリで刃先だけ磨く。刃部分の製法は
足で押さえてヘラで擦って磨く。刃先は磨 日本刀の作りに似ている。このやり方が弥吉から始
かない 。 まる鋏鍛冶の伝統である。
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刃ひき 柄が鋳物の鋏
仕上げに細かい布ヤスリで刃裏を磨いて完成。 総火造りだけでなく、鋳物柄の鋏も作るが、
鋳物の柄は総火造りに比べて厚く重いため、
手になじみにくい。