職人の生活


職人の修行と職人気質

 商家の丁稚と同じく小学校を出ると親方の家に住み込みで奉公に入りました。はじめは簡単な仕事の手伝いから始まりますが、親方は教師ではないため、自分から積極的に盗むようにして覚えていかないと、いつまでたっても一人前となることはできません。普通は、徴兵検査で年季が明け、1年間のお礼奉公した後に独立しました。
 職人は、どんな仕事でも注文を受けたら完全にこなす腕を持っていなければなりませんでした。常に仕事に創意や工夫を怠らず、腕を磨く努力を惜しみませんでした。そこに職人の仕事への誇りと喜びもあり、頑固なまでの職人気質のゆえんでもあります。

職人の財力

 職人には、商家のような財力はなく、手間取りで仕事をするというのが、戦前までの形でした。例えば、家を建てる場合、材料はすべて注文主が用意し、大工や畳屋などは手間取りで仕事をしました。職人には、自分で材料を仕入れる力がなかったため、同系統の業種の商家に従属することが多く、例えば、大工は材木商の配下に、鍛冶屋は金物商の配下にありました。また、桶屋は造り酒屋お抱えの職人になっていたり、鳶、大工、左官などはダンナバとも称する一般の商家とも結びついていました。すなわち、特定の商家の出入りの職人となり、冠婚葬祭などはダンナバの印半纏を着て、手伝いを行うという習慣がありました。

職人の講

 職人の仕事には危険を伴うものも多いため、一般に職人は信仰が篤いと言われます。大工、畳屋、桶屋などは聖徳太子、鍛冶屋は金山様、紺屋は愛染様というように、業種ごとに異なる神様を祀っており、それぞれの祭日には同業者が集まって講が行われました。