建物の特色


 商家の建物は、モデル建築の忠実な復元を行ったものではないため、「佐原などの町並みを参考にした」という表現を使っていますが、佐原や松戸などの町屋の調査をもとに、その特色を生かして建設されたものです。しかし、建物の配置なども含め、あくまでも架空の町並みであることを改めてお知らせしておきます。
 また、房総のむらの町並みには、店の奥の居住部分が再現されていません。建設当初から、商家の正確な再現の場としてというよりも、体験・実演などの演目を行う場として設計したため、店先だけの再現を行い、その店先自体も、演目実施に都合のよいように作り、正確な再現ではありません。

 店の間

 おおよそ佐原の町家は、道路に面して、間口いっぱいに店の間を設けており、居住部分はその背後に作られています。店は土間と帳場からなりますが、その割合は職種によって異なり、全部が土間になっているものから、呉服屋のように畳敷の部分が広くなっているものまで、さまざまです。店の表口は、開口全部に上下式のしとみ戸を設けた開放的な造りをしています。中間にある柱は取り外しできるようになっており、昼間はおもて全体が解放されます。しとみ戸のほか、庇の外に格子戸を設ける場合もありますが、これも昼間は外されます。

 店蔵

 店を土蔵造にするいわゆる「店蔵」は、度重なる火災から店や商品を守るために次第に普及したもので、有事の時には、普段は家の脇に立てかけてある土戸を間口に建て、泥で目張りをして火災から防ぎました。目張りのための泥は普段から用意してあり、泥が足りない場合には味噌も使ったと伝えらています。ただし、土蔵は大変多くの手間と費用を要したため、漆喰塗の化粧仕上げをせず、粗い砂ずり壁にして、上に羽目板をかぶせて風雨から保護したり、隣家に接する側面だけを土蔵造にして、他の格子窓などは木造とした形式もあります。佐原の店蔵の発生については、明和2年(1765)に初めての記録があり、18世紀の後半から次第に普及し始めたと考えられます。

 裏通り

 房総のむらは、表通りだけの再現となっています。実際の町場は、表通りと裏通りとが絡み合って構成され、表通りには自分で土地と店を持つ「表店」の商人が住み、通りの裏には表通りの店に通う賃家住まいの商人、職人、遊芸人などが住むことが多いようでした。場所によっては、日雇い労働者や振り売りの商人が多く住んで、貧民街となることもあったようです。生活の格差が大きく、多くの階層が狭い地域を住み分けて生活していたのが町場の特色といえます。房総のむらでは、裏通りの再現を行わないかわりに、鍛冶屋・木工所・畳屋・瀬戸物の店などの職人の店先を通りの奥に配置することによって、町並みの構成を表現しています。