小間物の店「久留里」
江戸時代の町場にあった小間物の店は、櫛や笄、簪などの髪飾りや、白粉、紅などの化粧品をはじめ、塗りものの器やめがね、袋物やたばこ入れなど、こまごまとした日用品を商っていました。
屋号 小間物を扱う大店が存在し、城下町としてもさかえた久留里地方の地名に由来します。
建物の特徴 切妻瓦葺屋根、間口3間、奥行き3間の2階建て町家造り。両脇の外装は、板張仕立て。二階窓に格子がはめられています。具体的なモデルとなった建物はありません。
店先の展示 板看板
看板にある「萬小間物類(よろずこまものるい)」とは、いわゆる雑貨屋さんです。
軒のれん 藍染で、家印の分銅と店名の 「くる里」を白く染め抜いてあります。
蔀戸 揚戸、上げ下げ戸とも言われ、夜用に出入口が付いています。
けんどん 桐製のタンスで、小間物類を並べて入れます。
帳場机・勘定帳 店の帳簿整理などに使いました。
算盤 五つ珠のそろばんで、1935年に現在の四つ珠へと変わりました。
小間物ケース 小間物類を展示するケースで、展示用として配置しています。客の注文で桐タンスやガラス箱等から取り出していましたが、大正中期頃からショーウィンドウで客が自由に見て選んで買えるようになりました。
ラオ車 キセルの販売やヤニ落とし、修理などをしたラオの行商に使いました。車が付いたのは、明治~大正時代です。
小間物の店一口メモ
小間物屋の商いと生活 櫛・笄(こうがい)・簪(かんざし)などの髪飾りや白粉・紅などの化粧品をはじめ、塗り物の器や箱物、眼鏡、刃物、袋物、煙草入れ、根付など、こまごまとした日用品を商っていました。これらの商品は、小間物問屋に集荷され、小売りの小間物屋がそれらを仕入れていました。また、店売りとは別に、行商の小間物売りがいました。主に女性の生活用品を扱ったので、客は女性に多く、女性の小間物売りも多かったといわれます。近代に入って、次第に化粧品・服飾品などの種類が増し、需要も増加するのに伴い、小間物屋の多くは洋品店、化粧品店などの専門店に分化したため、この頃までに小売店をはじめ、行商の小間物売りは姿を消していきました。
小間物屋は、問屋、大店など店構えの大きいものから小さいものまで様々でした。規模の大小によって使用人の数も異なりましたが、中程度の小間物屋には、常時番頭を含めて4~5人の店員がおり、商売の規模が大きくなるほど、店員の数を増やしました。
小間物類の商いは、座売りを主体としていましたが、それと同時に行商として竹カゴの数個を重ねて、この中に小間物類を入れて風呂敷に包み、背負って家々を訪ね売ることもしました。
一般的に、大正初期頃までは商品である小間物は、常時、引出付きの箪笥やガラスの蓋をした箱、桐箱に納められており、客からの注文に応じて随時取り出すようにしていました。当時は、櫛や簪類も本物のべっ甲を使っており、虫がつきやすいので、売れるまで虫除けの樟脳を入れるなど、気を使うことが多かったのです。大正の中頃になって、店先にショーウィンドウを設置し、客が自由に見て選んで買えるようにしました。