薬の店「佐倉堂」
薬屋の店舗が現れるのは、江戸時代からで、それ以前は行商による販売を行っていたようです。現在の薬局でみられるような、薬や化粧品の広告ポスターと同じように、江戸時代の薬屋の店先でも、さまざまな形の看板を掲げ、扱う薬などを紹介していました。佐倉堂の店先でも「屋根看板」「袋看板」など多くの看板があります。
屋号 天保14年(1843)8月、佐藤泰然によって佐倉本町に私立病院と学塾(順天堂)が設けられました。さらに、佐倉藩は、藩校の教科に医学を採用し、薬圃(薬草園)も整備しました。このようなことから薬の店の屋号として佐倉藩の名をとることとしました。また、『八州通商録』によると、薬の店の屋号として必ずしも「○○屋」と呼ばれていなかったことから、「佐倉堂」と名付けました。
建物の特徴 切妻瓦葺屋根、間口3間、奥行き3間の2階建て土蔵造り。具体的なモデルとなった建物はありません。
店先の展示 看板 屋根看板は佐原の正文堂の看板がモデルになっています。その他、薬袋を模した袋看板、下げ看板(御目薬・房総湯・振出し薬・かうやく-膏薬・胃腸丸)や衝立看板があります。
当箱 帳場周りの調度類のひとつで、筆や書類などを入れていました。
銭箱 お金を入れる箱です。上面の穴から銭を入れますが、鍵が掛かっていて、中の銭を取り出すことはできません。
竿秤 薬草をはかる道具です。
百味箪笥 乾燥して刻んだ薬草類を入れたり、すぐに薬を服用できるように、混ぜ合わせた薬などを入れます。
片手切り 薬草を切る道具。(刃の部分は、展示していません。)
薬研 粉薬や丸薬を作るとき、材料を粉末にする道具。
火鉢・煙草盆 火鉢は、湯を沸かしたり、客が暖をとったりしました。また煙草盆は、煙管で煙草を吸う際に使いました。
薬の店一口メモ
薬の店の商い 薬の販売には信用が第一です。その薬の信用を得るため、各店では様々な工夫を凝らしました。その一つが、店先に並ぶ様々な看板です。現在の薬局も、大変多くの看板や張り紙をしていますが、江戸時代に描かれた絵図などを見ると、その賑わいぶりがうかがえます。
店先の再現において参考にした『千葉県博覧図』には、千葉県下の薬局も多数掲載されていて、そこには「佐倉堂」のような屋根看板、衝立看板、下げ看板、袋看板などが店先に描かれています。
また、薬の販売にはいくつかの形態があります。文献などによると、店先での小売りはもちろん、人が集まる旅籠などに薬を置いてもらい、紙看板(現在のポスター)を貼って薬を売っていました。しかし、資料調査では県下でそのような例を聞き取ることはできませんでした。その代り、薬屋では、行商により南東北地方まで販路を拡大していたり、寺では信者に薬を販売し、関東一帯の人々が薬を買い求めに来たようです。さらに、香取市の水郷地帯にある接骨院には、高瀬船で水郷地帯の人々はもちろん利根川流域から薬を買い求めに来ていたようです。
薬の店の年中行事 関東地方で、薬の店だけに共通する年中行事というものは、聞き取り調査で話しを聞くことができませんでした。しかし、大阪の道修町で行われている薬祖神祭を行っている薬局が香取市にあります。薬祖神とは、農業の神様でもある炎帝神農のことです。この薬局では、毎年創業記念日の10月17日にこの行事を執り行っています。行事の内容は、床の間に神農の掛け軸をかけて、恵比須の木彫りの像と供物(季節果物や酒など)を供え、商売繁盛を祈ります。このほかには、薬の店独特の行事は特に行っていません。