めし屋「かどや」 


 江戸時代には、まだ外食は一般的なものではありませんでした。しかし多くの人が集まった江戸の町などでは「振り売り」や「屋台」、「料理茶屋」など調理した食べ物を売る商いが盛んになり、それはやがて地方にも及ぶようになりました。


屋号            町並みの角地に立地することから、めし屋の屋号を「かどや」としました。

建物の特徴   切妻瓦葺屋根、間口3間半、奥行き3間の木造2階建て。正面の格子戸が当時の佇まいを感じさせますが、具体的なモデルとなった建物はありません。また食品衛生の観点からかまどの周辺には、近代的な設備を備えています。

店先の展示    箱看板  「一ぜんめし」「どんぶりめし」などめしにちなんだ文言を用いています。
                      かまど     煮炊きをする道具です。二口のかまどには、羽釜と鍋をかけ、ご飯と汁を作りました。


めし屋一口メモ

めし屋の商い  手軽な飲食店でどんぶりに盛り切りにした一膳飯を売っています。主食は麦、粟、稗、唐黍といった雑穀が主で、それに蕪、大根、干葉を多く混ぜたかて飯が多かったのです。副食は汁、香の物の一汁一菜でした。その後、米が主食に変わり、日常的な献立が一汁三菜に変化しました。副食にもふくら煮、五菜煮、定家煮などの煮物が加わり、庶民の日常生活のいろいろな惣菜が煮売りされ、酒などの嗜好品も扱うようになりました。

めし屋の店先   めし屋は当初、店は構えず、屋台などの据え店として商いを行っていました。間口6尺、奥行3尺、屋根までの高さは9尺、軒下は6尺ぐらいで、前に棚あり、調理したものを並べていました。並べきれないものは自分の店の前、もしくは人通りの多い所に置いておきました。立ち食いがほとんどでしたが、ところによっては空の醤油樽を土間に並べ、板切れを渡して腰掛としたようなところで飯や惣菜、酒などを飲食させました。その後、街道筋や宿場に店を構えるようになります。県内では、簡易な建物に縁台を並べて飲食するといった居酒屋のような形態が多く、めし屋のような店構えは江戸や京都といった都市部に多くみられました。

一膳飯の料金   千葉県内でも比較的多くの小料理屋があった所として木下河岸付近があげられます。魚鳥料理屋5~6軒、そば・うどん屋、小売酒屋などを合せると40~50軒の飲食店が商いを行っていました。一汁一菜の食事で64文、一膳飯は22文と、当時としては高い料金がついていました。ちなみに、旅籠に泊まる場合、夏季は72文、秋は64文の中で、半分が食事代で占めていました。


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