木工所「長柄屋」


 木工所は、通常は木工関係の仕事である下駄屋の仕事場を再現しています。演目としては、下駄の鼻緒すげ体験、樽作りなどを行っています。


屋号   店名の長柄は、切り出した丸太材の別称で、また房総半島の中央部に位置した「長柄郡」は昔から木材の生産地として知られていたことから、この店名がつけられました。

建物の特徴  寄棟瓦葺屋根、間口3間、奥行き2間の土庇(どびさし=土間に架けられた庇)付き、後ろ片側に下屋庇(げやびさし=主屋の屋根より一段下げた位置に取り付けられた片流れの屋根)があるため、屋根の形状が複雑になっています。内部の前半分は土間で、後ろ半分が板の間になっています。正面の建具は板戸引き込みで、作業場風な形態がよく表れています。モデルとしたのは、千葉市浜野にあった舟大工の住居です

店先の展示  作業台 房総地方の下駄屋が利用した作業台を復元しています。
         二斗桶 砥石などの道具の手入れに使用します。
         看板 下駄屋の目印として大型の桐下駄を看板にしています。
         鼻緒 店の中につるしておいて、客が好みのものを選んで、すげます。
         カゴ 鉋屑(かんなくず)などを入れます。
         商棚 下駄を並べておきます。
         下駄七分製品 七割方できあがった下駄です。


木工所の一口メモ

下駄屋の商い  材木加工は、品物により専門の職人が作業を担っていました。長柄屋は、通常下駄屋の店先として再現しています。
 下駄の材料に使用するのは桐、朴です。台にするのは主に桐、朴は歯に使いました。桐は以前、近くに豊富にありましたが、最近では手に入りづらくなっています。鉋は使用場所・目的により異なっていて、多種多様です。台を磨くものとして、トクサ、ウズクリ、艶出しにイボタロウを使いました。

下駄屋の生活  下駄屋の朝は早い。朝6時には仕事を始めました。一人前になる目安が、一日50足だったので、早くから始めないと間に合いませんでした。一年を通してみると、盆、年末年始に良く売れました。これは、売上が少なくなった現在でも同じです。第二次世界大戦後は、靴やサンダルの普及により、下駄の需要が少なくなりました。

下駄  下駄は、形やいつ履くかによってさまざまな種類がありますが、歯の形態から連歯(台と歯が同じ材・マブツと呼ぶ)と差歯(歯の入れ替えができる)に分けられます。差歯は、歯さえ取り替えれば、台が割れるまで履けます。連歯下駄の男物の例には駒下駄、女物には日和下駄があります。差歯下駄は高下駄が有名です。
 下駄作りは、まず材料のキドリから始まります。キドリの後、歯の位置を決め、アイダヒキで挽きます。歯の角をマルスキ、歯と歯の間をジュウノウで削ります。この工程をアラオシラエ、アラスキといいます。シアゲスキを行い、朴の木に貼りつけたトクサで全体を磨き、鼻緒をすげる穴を開けます。そして全体に砥粉を塗り、乾燥したらイボタロウを塗り付け、ウズクリで磨いて艶を出します。最後に、棚に並べて保管し、客の気に入った鼻緒をすげました。

  千葉県の地場産業である醸造業は、江戸時代前期に始まったとされています。銚子・野田の醤油、佐原の酒、流山の味醂などがその代表です。このように醸造業が発達した千葉県では、醸造用に使う桶・樽が必要となる潜在的要素があったといえます。
 職人になるために弟子入りするのは、13~15歳にかけてです。修業に入ってしばらくは、子守などをやらされます。人にもよりますが、5~8年の修業の後、お礼奉公を1年ほど努め、独立しました。製作の技術は、すべて親方を見て盗みます。仕事は厳しく、朝早くから夜遅くまで仕事しました。一年のうち休みは、盆、正月ぐらいしかなく、このとき弟子は実家に帰ることが許されました。(ヤドサガリ、ヤブイリなどという)
 正月2日から4日にかけて仕事始めが行われます。作業場に入り、道具を揃えて、仕事の真似事をします。太子講は1月15日頃、同業者が集まり、聖徳太子の掛軸を吊るし、酒を飲み、手間賃などを話し合いました。現在は同業者もなく、行われていないところが多くなりました。桶の注文も、昭和40年代を境に激減し、転職する者が多くなりました。
 桶に使う材は、杉、サワラ、檜などですが、檜は風呂桶など特別なものに使用することが多く、サワラが一般的でした。原木の中心部(赤身)は質が良いが、外回り(白太)は成長部分のため、柔らかく材料には適しません。この赤身を鉈で柾目取りにしたものが側板です。外側の両端を削り、正直台で側板のつなぎ目を平らにします。これを仮輪(仮タガ)をかけて組み、糊付けをします。乾いたら、内丸鉋、外丸鉋で整形し、本タガをかけます。タガは、竹なら真竹、そのほか赤銅、真鍮も使いました。底板は、竹釘、糊で接着した一枚板状のものを、ブンマワシで円を描き、マワシビキで切り取ります。切り口をソコマワシで削って整えますが、底側を余分に削り、上側を尖らすようにするとよいといいます。底板をはめる部分の側板を、ヒダリカンナ(ミゾキリ)で予め削っておき、底板を上からはめます。蓋の必要な桶については、蓋を作り、完成です。

  奉公の期間は、尋常小学校卒業後、徴兵検査(20歳)までの場合が多かったようです。最初の一年間は、オイマワシといって竹釘を作り、タガ運びなど、親方の雑用がほとんどでした。年季が明けると、親方から道具一式と御仕着(着物一式)が贈られました。一人前の目安は、地域により差がありますが、半樽16丁とか竹割300本などと言われました。
 樽職人の多かった野田では、親方中心の組合や、職人が作った組合などがありましたが、昭和40年代を境に消滅しました。これらの組合の消滅と同時に、太子講も行われなくなりました。太子講は、1月15日に職人が太子堂に参詣し、組合長宅に聖徳太子の掛軸を吊るして、直会を行うものです。また、12月20日に恵比須講を行った地域もありました。
 樽の材料は主に杉で、秋田杉が良いとされています。側板は、桶と同じように赤身を使用しますが、醤油など塩気の強いものに使うため、板目取りにします。側板の内外をセンで削り、切り口は幅が一定のものと、底側の幅が幾分狭くなっているものとに仕上げます。正直台で切り口を削るのは、桶と同じです。これらの側板は、使用箇所の違いにより、クチメとガワ、カッパとシッポソというように名前が異なります。
 決められたように側板を並べ、口金輪・腰金輪と、底板、鏡板(上蓋)を交互に脱着しながら側板を締めていきます。鑑と底をはめ込んだら、小口・腹を削ります。口輪・腰輪とタガをかけ、三番輪・二番輪・尻輪の順にかけ、口輪を強く締めて、最後に重ね輪をかけます。これらタガ締めは。輪締めと呼ばれています。

木工挽物  千葉県南房総市加茂遺跡では、縄文時代前期のものとされている刳船が見つかっていて、木工のうち「刳る」という技術は古いと考えられています。「刳る」とは、オノ、チョウナ、カンナなどの道具で、中くぼみの容器などを作る技術のことです。「ろくろ」が登場すると、材を回転させることで、必要な形を刳り出すことができるようになります。したがって、「刳る」技術が、ろくろの使用により「挽く」という技術に発展していったと考えられます。
 中世になると、木工職人の専門化が進み、刳る技術は大きなもの(臼・木鉢・槽)などに、挽く技術は小さなもの(椀・盆・玩具)などに応用されるようになっていきました。特に挽く技術は、ろくろを使う職人として「轆轤師」と呼ばれるようになります。つまり、椀、皿などの木地の加工職人、木地師(屋)・挽物師(屋)を指すようになりました。
 この「ろくろ」という道具は、弥生時代の遺跡である奈良県唐古遺跡から見つかっており、その起源は古いものです。水平に支えられた軸の一方に材を固定し、軸に巻き付けた革紐を前後に動かして軸を回転させ、削るカンナ(バイト)を固定して材を削っていきます。当然のことながら、この手引ろくろの場合、作業するには最低二人が必要となるし、回転が一定でなく、作用能率は低いものでした。その後、前引ろくろという足踏み式に変わり、現在では電動になっています。
 木地師の間では、発祥の地を近江の小椋谷(現滋賀県東近江市)とされています。ここには、職祖とされる小野宮惟喬親王を祀る筒井八幡宮と太皇明神があります。江戸時代には、「氏子駈り」という制度の下で、先の2神社が全国の木地師を統制したと言われています。木地師で「小椋」(小倉・大蔵・大倉)姓が多いのは、発祥の地「小椋谷」に因んでいると言われています。
 挽物に使う材料は、作る製品によっても違います。堅木が多く、ケヤキ・トチ・ミズナラや、桑の茶碗で茶を飲むと中風にならないと言われることから、茶碗を桑で作ることもあります。製品のキドリの方法から、イタメモノ、コグチモノに分けられます。イタメモノは、盆や皿などの日用品で、コグチモノは柄の類です。コグチモノは芯があるため、ひびが入りやすいようです。
 道具は、ろくろとカンナが中心となります。カンナの種類は多くありませんが、製品や使用場所により形を変えなければならないので、カンナは職人が自ら作りました。刃の部分はすべて刃金になっているので、使い古しのヤスリがあれば、作ることができました。
 材をろくろに固定するには、ケヤキで作ったカタを使用しました。カタは、窪みや出っ張りに合わせてはめ込むキガタ、表面に爪の付いたツメガタ、放射状に割れていてそれにはめ込むワリガタの3種類がありました。製品や形、大きさによってカタを使い分けました。カンナをのせ、左手で固定するのが、ウシと呼ばれるものです。後ろが高いのでウシ、平行だとウマと言いました。挽物の工程は、キドリ、乾燥、荒挽き、乾燥、仕上げとなります。


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