酒・燃料の店「下総屋」


 江戸時代の酒屋では、蔵元から樽で仕入れた酒を升で量り、貸し徳利に入れて売りました。また店先で酒を飲んで帰る客もいました。 房総地方、なかでも下総地方では、酒・醤油などの醸造が盛んでした。とくに酒造業は江戸時代後期から明治にかけて急速に発展し、西日本の酒所「灘」に対して「関東灘」と呼ばれるほどでした。


屋号   酒や醤油など、醸造物の製造が盛んであった下総国から屋号をとり、「下総屋」としました。

建物の特徴  切妻瓦葺屋根、間口4間、奥行き3間の2階建て土蔵造り。壁面下半分は、平瓦を並べて、継ぎ目に漆喰をかまぼこ型に盛りあげた、なまこ壁です。具体的なモデルとなった建物はありません。

店先の展示  杉玉(酒林) 新酒を仕入れた印です。酒造りに使う樽や桶などの道具は杉材で作られた物が多く、杉には、酒の守り神が宿るとされています。
         半切り桶 貸した徳利を洗うための桶です。絶えず水が流れていました。
         徳利 酒などを入れる容器です。
         漏斗(ろうと)・漏斗差し 徳利など、注ぎ口の小さい容器に酒を入れる際に、こぼれないようにするための道具です。
         升 酒などの量をはかる道具です。一合升(約180mℓ)、五合升(約900mℓ)、一升升 (約1.8ℓ)が展示されています。
         樽 酒を入れる樽です。一斗樽(約18ℓ)、四斗樽(約72ℓ)です。慶時に使う、菰冠(こもかぶり)と呼ぶ、装飾用の菰を巻いた樽を展示しています。
         箱階段 各段の下に、引き出しなどをつけた収納階段です。


酒・燃料の店一口メモ

酒屋の商い  房総地方の酒造業は、江戸時代後期から明治時代にかけて急速に発達し、「関東灘」と呼ばれました。慶長年間、濁酒から清酒へと製法が変化し、庶民のあいだでも清酒が飲まれるようになりました。そこで蔵元から酒を購入する業者が現れ、小売店を構えました。小売店へ卸された上等の酒は、菰冠でした。副産物の奈良漬、酒粕、粕取り焼酎の販売も行いました。土間のへりに腰を下ろし、銚子1本だけ飲んで帰る客もいました。

酒屋の生活  酒造りは女子禁制とされ、体力の強い男子が生産の中心でした。また、ミカンを食べてはいけないとされていました。さらに、酒は一年を四~五季に分けて仕込まれました。江戸時代、酒造りは寒仕込みが高く評価され、酒造りの季節は冬に限定されました。仕込みの前にはコシキオコシ、仕込みの終了にはコシキダオシと呼ばれる行事が行われ、酒造りの関係者が一同に会して祝宴が催されました。仕込みは、越後や南部から招いた杜氏を中心にして、朝5時頃から夕方5時頃まで行われました。杜氏は、11月から4月半ばまで蔵元に滞在しました。


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