(ボン)
盆の行事には、仏教だけでは説明がつかない部分があります。例えば今では見ることも少なくなってきた盆棚は、仏壇の前などに張り出す祭壇のことですが、そこには稲・粟・ホオズキ・インゲン・カボチャ・ナス・キュウリなどの作物が供えられます。その時期に収穫をむかえたもの、または収穫を迎えようとする作物を供えることで、収穫感謝または豊作祈願の意味が込められているとされます。すると、盆には仏教的な行事の側面のみでなく、民間の問に広まっていくにつれて、農耕儀礼的な側面も混在していることがわかります。 盆棚の飾りつけも地方により特色が伺えます。
上総の農家−山武郡大網白里町砂田の事例
下総の農家−浦安市猫実の事例
安房の農家−安房郡三芳村千代の事例
安房地方には、新盆(その家の人が亡くなってから初めて迎える盆)の際、杉葉の垣根を周囲に巡らす手の込んだ盆棚を見ることができます。庭には高い燈籠を掲げて霊が迷わないよう目印にします。杉葉を用いるのは、その神聖な意味あいからと考えられますが、飾り付けるホオズキやハギ.ススキなども含め、まるで森のような賑やかな印象を受けます。けれども手間ひまのかかるこれらの製作は、徐々に簡略化されていく方向にあります。
商家−佐原市新宿の事例
町場には盆の行事に必要な物を近くの農家の人達が売りに来ました。「花市」「草市」と呼ばれる市が立つところもあり、花筒、マコモのござ、仏壇にあげる野菜やミソハギ、ホオズキ、ハスなどの草花、盆舟などが売られました。盆の商いをする村では7月になると、マコモ刈りや盆道具作りなどの作業に家族総出で追われました。佐原の盆行事は8月13日の早朝、裸足で寺に行き経木の塔婆をもらい、墓に線香を上げ、キュウリとナスを刻み、生米を混ぜたアラヨネを蓮の葉に乗せて供えます。13日の夕方に迎え火を焚き、小野川で線香を焚いて仏様を迎えます。特に大橋(現在の忠敬橋)の上には多くの人が集まりました。14日はお棚参りで、白絣の着物に絽の羽織で新盆の家にお参りに行きます。15日の送り火の後、16日の朝、裸足で寺に行き、灯籠やお膳を下げ、マコモの船に供物や経木などを乗せ利根川に流しました。
武家屋敷−君津市久留里の事例
旧久留里藩の中心部で伝承されていた武家の新盆の盆棚は次のようなものでした。マコモで編んだゴザを敷き、杉の葉とオガラで作った垣根をめぐらし、四隅に葉のついた青竹を立てます。上方にミチシバの縄を巻き、色紙やホウズキ、長ソーメンを飾ります。位牌を中心に安置し、供物を供え、ナスやキュウリの牛馬を置き、オガラのはしごを掛けます。盆の十二日に棚を吊り、十四日に墓参りに行きます。十六日には棚をくずし、マコモのゴザに位牌以外の物をくるんで川に流しました。