正月(ショウガツ)
今は新暦が当たり前となり、元旦は寒さ真っ盛りの時期に相当します。「新春」と呼ぶにはあまりに厳しい季節です。これは日本でも正月といえば「新春」にふさわしい時期であったのが、明治5年の新暦(太陽暦。現在一般に使われている暦です)の採用により、1ケ月ほど日程が早くなったことでズレが生じてきたからなのです。今の2月頃が正月(1月)に当たると考えると、2月4日頃が「立春」ですから、春の始まりとして適当な時期であったことがわかります。
春を迎え、その年の豊作や安穏をもたらす年神様を招き、そのための環境を作ってあげることが、正月の準備です。正月になって以降は、仕事始めや農作祈顧などで、1年のうち最も多い年中行事の時期でもあります(1月15日を中心とした行事が目立ちます)。それだけでも、この月を特別視していたことが窺えます。
上総の農家−市原市栢橋の事例
下総の農家−成田市堀之内の事例
安房の農家−安房郡三芳村千代の事例
房総のむら内の各農家では、旧暦で正月の飾り付けを再現しています。それぞれの地域の特徴的な飾り付けを見比べていただき、現在はあまり見かけなくなった地域色豊かな正月風景を実感していただければと思います。
商家−佐原市内の事例
佐原の町場では出身地や業種の違い、店のしきたりなどによっていろいろな形の門松が作られます。一般的には、杭に松を縛り付けたものを一対、または枝葉を付けたままの2m位の竹に松を一枝添えて輪飾りをつけたものを一対という形が多かったようです。家内の神棚には牛蒡締めを飾る家が多く、床の間に掛け軸をかけ、供え餅をする家もありました。輪飾りや牛蒡締めは町の露天で販売されました。正月は多くの人々が香取神宮にお参りに行きました。雑煮は醤油仕立で角餅を入れることが多く、里芋、大根、糸昆布を入れるのが特徴です。出入りの職人達が新しい印半纏を着て挨拶に回るのも正月の風習でした。
武家屋敷−君津市久留里の事例
旧久留里藩の御屋敷地区で見られた武家の正月飾りでは、門松は黒松、真竹、梅枝各一本を藁縄でしばり、門の両側に立てます。神棚には大神宮様と歳神様が来るという考えからクミカザリを二つ飾ります。玄関、床の間、井戸、屋敷神、仏壇、勝手、男便所などにも飾ります。オオタレジメは荒神様にあげます。鏡もちも歳神様、大神宮様、仏壇、荒神様、屋敷神、井戸に供えます。1月20日に門松、クミカザリ、鏡もちをはずし、オオタレジメは一年間飾り、次の年に更新します。歳神様へのお供えとして、幸木(サイワイギ)を飾ります。つるすものは鮭、干し柿、かつお節、栗、みかん、するめ、聖護院かぶ、板昆布、麻です。七草がすむと下げましたが、麻、するめ、板昆布、聖護院かぶは1月20日まで飾りました。下げたものはみんなでいただいたそうです。