2.地衣類の分類学上の位置づけの変遷

地衣類は現在では,菌類の仲間とされますが,その生物界における位置づけは,大きく変わってきました.

(1)18世紀中頃: リンネの時代

生物の学名の基礎を作り,出発点とされる研究者がリンネ(C. von Linne)です.その重要な著作の一つ,1753年に出版された「植物の種(Species Plantarum)」(文献1)では,多くの地衣類は「Lichen(リケン)」という属の学名がつけられ,しかも藻類の仲間として位置づけられました.

 

(2)19世紀初め: アカリウスの時代

リンネの弟子の一人だったアカリウス(E. Acharius)は,地衣類を専門に研究し,地衣類を藻類とは異なる,「Lichenes(リケネス)」という分類群として認めました.多くの属に分け,とても多くの新種を発表しました.こういった業績により,地衣学の父と呼ばれることになります.

 
(3)19世紀から20世紀初め: 発展の時代
アカリウスの後は,ヨーロッパを中心に多くの地衣類研究者が現われ,分類の研究が進みます.地衣類は「Lichenes(リケネス)」という独立した生物群として認められていました.
 
(4)1867年: シュヴェンデナーの発見
その当時,地衣類の体の中にはゴニヂア(gonidia)と呼ばれる緑色の細胞があることが知られていました.これは,地衣類という生物が特別に分化させた細胞と信じられていました.しかしシュヴェンデナー(Schwendener)は,これがじつは藻類の細胞であり,地衣類の本体は菌類であって,2つは別の生物であることを発表しました.この説は,今では当たり前に受け入れられていますが,その頃は全く受け入れられませんでした.
 
(5)20世紀初めころ: ツァールブルックナーの時代
植物学の世界では,エングラー(Engler)の分類体系が20世紀には広く受け入れられ,標本庫の管理もその体系に従って運営されている場所も多かったようです.その体系というのは,「自然体系による植物の科」(Die naturlichen Pflanzenfamilien)というドイツ語で書かれた本として発表されました.この中で地衣類は,ウィーンにいたツァールブルックナー(A. Zahlbruckner)によって執筆されました.世界の地衣類を分かりやすく体系的にまとめたことに加え,彼が地衣類の学名の発表履歴をまとめたこと(※)の相乗効果があって,この体系は広く使われました.そこでは地衣類は「Lichenes(リケネス)」という門として認められました.
 

(※)「Catalogus Lichenum Universalis」(カタログス・リケヌム・ウニウェルサリス),全10巻.

 
(6)20世紀中ごろ以降: シュヴェンデナーの再評価
ツァールブルックナーの分類体系を採用しつつも,シュヴェンデナーの説は徐々に評価されていきます.それを分類として初めて本格的に取り入れたのは,サンテション(R. Santesson)でした.彼は,世界の生葉上地衣類(葉の上に生える地衣類)の分類をまとめた論文で,地衣類を菌類の分類体系に組み込むことを試みたのです.
 
(7)地衣類の学名は,菌類に対しての学名

生物の1つの学名は,1つの生物に対して付けられます.「地衣類は菌類と藻類が共生したもの」であることが共通理解となったときに,地衣類の学名はどうなったのでしょう?それ以前は「菌類と藻類が共生したもの」全体,つまり複数の生物の集合体に対して学名を付けていたことになります.つまり,菌類に対しては名前が付けられていないと考え,チフェッリとトマセリ(Ciferri & Tomasellli 1953.※) は菌類だけに新たに学名を付けました.例えば,「Parmelia」の菌に対して「Parmeliomyces」,「Cladonia」には「Cladoniomyces」,「Lecanora」には「Lecanoromyces」といった具合です.

 

(※)Ciferri R. & Tomaselli R. 1952/ Saggio di una sistematica microlichenologica./ Atti Inst. Bot. Lab. Crittogam. Pavia, ser. 5, 10: 25-84.

しかしこのことは,学名を付け替えた研究者を過大に評価し(逆に,それまでの研究者の功績を過少評価することになり),しかも無駄とも思えるような学名の変更が無数に生じることになると多くの分類学者は考えました.そこで,学名のルールブック「命名規約」(※)では「命名規約上は,地衣類につけられた名は,それを構成する菌類につけられたとみなす(For nomenclatural purposes names given to lichens shall be considered as applying to their fungal component)」と明記されるようになり,現在に至っています.
 

(※)地衣類の命名規約は,植物・藻類・菌類と同じで,(1)が使われていました.しかし,植物と菌類は系統的に大きく違う(藻類も様々)ため,名称が(2)に変わりました.

(1)「国際植物命名規約」(International Code of Botanical nomenclature)が適用されました.

(2)「国際藻類・菌類・植物命名規約」(International Code of Nomenclature for Algae, Fungi, and Plants)