教室博日記 No.1777

 2020/2/22(土)

 中央博の展示「『オリンピック・パラリンピック』と千葉のスポーツ史」

 以前、三島小の校門脇に建つ「1964年東京オリンピック記念碑」(写真1)のことを教室博日記に書いた。この記念碑が三島小に置かれた経緯はその後もわからなかったが、中央博物館のトピックス展「『オリンピック・パラリンピック』と千葉のスポーツ史」の準備を進めていく中で、千葉県が近代スポーツの誕生と発展に少なからず関わってきたことがわかってきた。その中から今回は、君津や木更津地域に関することを紹介する。

  • 写真1 三島小学校に置かれた1964年オリンピック東京大會記念碑

 ひとつめは、明治15年に千葉師範学校(現在の千葉大学教育学部)の体操教員として赴任した馬場寿(ばばひさし)が行った「鹿野山体操大演習」である。政府が開設した体操伝習所出身の馬場は、師範学校だけでなく、県内の教員に対しても体操指導を行い、演習(運動会のようなもの)や遠足の指導、体育の教科書の出版などを行っている。出版した教科書は7冊に及び、そのなかのひとつ「小学徒手体操新書図解」(明治18年発行)では、徒手体操の一つ一つの動作を絵と文章で説明している(写真2)。

  • 写真2 馬場寿が書いた体操の教科書の展示

 これらの成果披露の場として行われたのが、「鹿野山体操大演習」である。明治19年4月3日、鹿野山神野寺の仁王門の前に、望陀(もうだ)・周淮(すえ)・天羽三郡の80あまりの小学校から1600人ほどが集まり、周准郡長や馬場の前で徒手体操・亜鈴体操(木で作られたダンベルを両手に持って行う)を演じたという。見物人も押し寄せ、鹿野山開闢(かいびゃく)以来の盛況だったと言われている。その様子がわかる写真、あるいは絵画などの視覚的な資料はないが、神野寺の仁王門の前にこれだけの人数が集まり、全員で体操をするというのはさぞかし壮観な光景だったろう。文書の記録によると、「運動を披露する生徒は洋服を着て、学校ごとにそろいの帽子をかぶっていた」ということで、この時代としてはかなり西洋風(ハイカラ)だったのではないかと思われる。なおこのような馬場による体操指導の様子は、君津地域の小学校の沿革誌などに詳しく記載されており、後にこの時代を「体操熱時代」と呼んだと言われている(写真3)。

  • 写真3 馬場の活躍を伝える資料の展示

 もうひとりは、日本人で初めてオリンピックに参加し、マラソンに出場した金栗四三(かなくりしそう)に、東京高等師範(現筑波大学)で指導を受けた秋葉祐之(あきばすけゆき)である。ふたりはマラソンを普及させるために、大正11年に、20日間で樺太(からふと)~東京間を走るマラソンを行っている。

 秋葉は千葉県の蓮沼村(現山武市)の出身で、大正10年には理科教員として木更津中学校(現木更津高校)に赴任し、陸上競技を指導した。そして大正12年3月に、選手が木更津~佐倉~銚子~八日市場~成東~大原~天津~北条(館山)~木更津を8日間かけて走り抜く、「県下一周マラソン」を行った(写真4)。木更津市の八剣八幡神社をスタートし、走った距離は約435キロメートル(1日約55キロメートル)であった。この他オリンピック選手など一流の陸上選手を講師に招くなどして、県内のスポーツ振興に大きな貢献をした。このことが、後の1964年オリンピック東京大會陸上競技での、木更津高校出身選手の活躍(三段跳びの岡崎高之氏、棒高跳びの大坪政士氏)に繋がっているのかもしれない。

  • 写真4 秋葉祐之と県下一周マラソンの展示

 なお当時の長距離選手は普通の足袋をはいて走っていたが、金栗四三は足袋屋とともに改良を重ね、マラソン用の足袋を開発した。昨年のNHKの大河ドラマ「いだてん」にも、その場面があったが、今回の展示では、秋葉祐之が愛用したというマラソン用の足袋も中央博物館に展示されている(写真5)。

  • 写真5 秋葉祐之が愛用したマラソン足袋の展示

 この他にも千葉県とスポーツやオリンピックとの関わりは意外に深いものがある。現在中央博本館の企画展示室で行われているトピックス展「『オリンピック・パラリンピック』と千葉のスポーツ史」(会期:令和2年2月22日~5月10日)(写真6~8)をぜひ見ていただきたいと思う。

  • 写真6 展示の風景
  • 写真7 借用してきた鞍馬(実物)の展示
  • 写真8 オリンピック競技会場の位置を示す地形模型
  • 【参考文献】
  • 千葉県立中央博物館(2020):チバミュージアムフェスタ2020~千葉県立美術館・博物館展覧会~「オリンピック・パラリンピック」と千葉のスポーツ史
  • 【注】新型コロナウイルス感染拡大防止のため、分館も含め、当面の間、臨時休館しております。御利用の皆様には、御不便をおかけしますが、御理解のほどお願いいたします。

(八木令子)