教室博日記 No.1893

 2020/11/14(土)

 鹿野山の山上集落と井戸

 11月中旬の好天に恵まれた一日、鹿野山の九十九谷展望公園広場から、かつての景勝地である鳥居崎まで歩いて往復した。途中、白鳥神社から神野寺へ向かう道路から少し奥に入ったところに、蓋に被われた大きな四角い井戸があった(写真1)。誰かが手押しポンプを動かしてみると、水が勢いよく出てきた。この井戸は最近整備された(観光用に?)ということだったが、そのすぐ近くの周囲を斜面に囲まれた凹地のような場所に、源泉のさびれた井戸があった(写真2)。中をのぞくと、まだ水が残っていた(写真3)。

  • 写真1 道路の脇にあった大きな井戸
  • 写真2 凹地の中に残る源泉の井戸
  • 写真3 古い井戸の中には水が残っていた

 鹿野山の山頂部は比較的平坦で、神野寺を中心に、西側に上町、東側に下町という山上集落がある(写真4)。今は人も少なくなってしまったが、明治期には山上に小学校が置かれるほどであった。しかし生活するための水を得ることは難しく、地元の方の話では、近くの鹿野山小学校で泊まりの合宿などをする場合、この井戸の水を汲んで皆で運び、風呂を沸かしたということである。

  • 写真4 鹿野山の山上集落を歩いた

 このように井戸は貴重な水源だったようだが、山上集落のあちこちに井戸が掘られているというわけではない。これは鹿野山の地層が関係している。鹿野山の山体は主に未固結の粗い砂層(上総層群市宿層)からなるが(写真5、図1)、これらの地層は水を通しやすく、雨が降ってもすぐに地中深くに水がしみ込んでしまう。そのため井戸を掘っても水が出ないことが多かった(府馬,1984)。地層中に細粒の砂や粘土層が薄く挟まれている場合は、そこが不透水層となって滞水するため、掘れば水が出るが、そういう場所は多くはなかったのではないかと思う。

  • 写真5 鹿野山の山頂部(1987年撮影の航空斜め写真)
  • 図1 鹿野山と九十九谷の模式鳥瞰図

 鹿野山に水道が引かれるようになったのは、ゴルフ場開発が始まった昭和30年代以降ということなので、数少ない「水の出る井戸」は、長い間山上集落の人々の生活を支えていたことであろう。

  • 【引用文献】
  • 府馬 清(1984):鹿野山とその周辺. 298pp. うらべ書房

(八木令子)