教室博日記 No.1925

 2021/03/17(水)

 山城からの眺望

 房総最大の里見氏の居城、久留里城址を訪ねた(写真1、図1)。

  • 写真1 向郷から久留里城址(背後の丘陵上)を望む
  • 図1 久留里城の範囲
  • 国土地理院1:25000 地形図「久留里」(部分)

 久留里城址資料館のある二の丸からの眺望は素晴らしく(写真2)、眼下には近世の三ノ丸跡(水田になっている)、曲流していた小櫃川の旧流路や久留里市場が望め、遠景には愛宕山(君津市)や上総富士(この写真には入っていないが)、砂取場などが一望できる。それもそのはずで、城趾のある丘陵と三ノ丸跡がある低地(小櫃川の河岸段丘面)との間は急崖となっており、樹木が途切れた場所からは遮るものがない(写真3、4)。

  • 写真2 久留里城址二の丸からの眺望
  • 写真3 丘陵前面の急崖と前面の平坦面(河岸段丘)
  • 写真4 目もくらむ?急崖(写真で見るより現地の方が迫力あり)

 戦国の山城の重要な構成要素として、周辺の斜面を削り込んで急傾斜にする「切岸」という地形があるが、ここはまさにそれにあたるようだ。ただし防御のためにこのような地形を人工的に作り出したというよりも、自然の懸崖に近いのではないか。というのも斜面が砂と泥の互層から成ることが多く、泥層は比較的硬く水を通しにくいが、隙間に雨水が入り込むと、脆くなってどさっと大きく崩れて傾斜が急になるからだ。久留里城は別名、「雨城」と言われるように、このあたりは比較的雨が多い地域でもあるようなので、急崖ができやすい条件がそろっている。

 房総には久留里城址と同じように眺望がいい山城が他にもある。安房地域にある同じ里見氏の白浜城がそのひとつである(図2、写真5)。ここも標高が140m程度の丘陵で、南側が急傾斜の懸崖となり、その前面には、平坦面が階段状に分布する。正面は岬で、先端に野島崎灯台が立つ。その先は広大な海である。

  • 図2 白浜城趾の範囲
  • 国土地理院1:25000地形図「白浜」「館山」「布良」「千倉」(部分)より作成
  • 写真5 安房丘陵の南側の急崖と前面の平坦面、背後の白っぽいところは海。

 ここの場合、屏風のような急崖の成因は海食である。今から7000年前頃、縄文海進で海面が上がり、丘陵の際まで海が入り込んでいた。波が丘陵斜面を削り、直線状の崖が形成された。一方前面の平坦面は、大地震による隆起海岸段丘である。直近では、1703年の元禄地震でこの辺りが数メートル隆起し、浅海底が干上がって陸地となった。縄文海進以降元禄地震も含めて4回程度、同じくらいの地震が発生しており、その都度隆起で平坦面が形成され、階段状の地形(沼Ⅰ~Ⅳ面という、沼Ⅳ面が元禄段丘)となったのである(写真6)。

  • 写真6 白浜城趾展望台より見た階段状の地形(地震性隆起海岸段丘)

 白浜城を拠点としていた戦国時代は、元禄段丘の部分はまだ海面下であったことになる。戦国の人たちが見ていた景観はどのようなものであったのか、現在の地形(写真7)から想像してみるのも興味深い。

  • 写真7 家が建て込んでいる辺りが元禄段丘面。戦国時代の海岸線は?
  • 【参考文献】
  •  小高春雄(2018):房総里見氏の城郭と合戦. 281p., 戎光祥出版. 

(八木令子)