教室博日記 No.2012

 2021/09/01(水)

 関東大地震と小糸川下流域の土砂災害

 9月1日は「防災の日」である。

 防災の日は1923年9月1日に発生した関東大地震にちなんだもので、「関東大地震の教訓を忘れない」という意味と、この時期に多い台風への心構えという意味を含めて、1960年(昭和35年)に制定されたそうだ(意外に古い)。

 関東大地震は相模トラフを震源としたマグニチュード7.9の大地震で、東京都や神奈川県、千葉県など関東南部を中心に大きな被害が出た。当時は現在のようにすぐに被害状況がわかるような時代ではなかったが、参謀本部陸地測量部(現在の国土交通省国土地理院)は、延べ94名を被災地に動員して、15日ほどで詳細な被災状況図(震災応急測図)を作成した。その中に君津~富津~鋸南の内房地域の被害状況を示した図がある(図1)。

  • 図1 震災地応急測図原図「鹿野山(写図)」「那古(写図)」(原図所蔵:国土地理院)

 海岸線まですべて手描きで、何が書いてあるのか読みとるのは難しいが、調査した場所のおよその範囲や土砂崩れ等の位置(青い線)、死者や負傷者数、建物や橋などの全壊、半壊数、などが具体的に数字で報告されている。

 このうち小糸川下流域では、右岸の人見地区に土砂崩れの印があり(図2のピンクの丸印のところ)、備考のメモ(図1の右下の文章)には、『周西村、人見付近の崩落は特にひどく、小糸川をせき止め大堀の集落を押し流そうという状態であったが、全力をあげて溝を掘り危険を免れた(中略)』と書かれている(千葉県,2009)。非常に素朴な地図ではあるが、貴重な災害の記録である。

 なお、この図の上の部分に、『秘図区域』という文言が赤で書かれている(図1)。これは当時東京湾沿岸の地形図は軍事機密のために一般への発行が停止されており、秘図として扱われていたためで、調査員が秘図から海岸線、主要道路、河川、集落位置などを移写して図を作成したということである。

  • 図2 図1の拡大(部分)

 さて関東大地震の発生からすでに100年近くたとうとしているが、小糸川下流域は台地崖端など、現在でも急傾斜面が連続する(写真1、2)。

  • 写真1 小糸川下流域の急傾斜面
  • 写真2 小糸川に直交する向きに連続する急傾斜面

 樹木に被われ、かつて土砂崩れがあった痕跡はほとんど確認できないが、現在この地域一帯は県が指定する「急傾斜地崩壊危険区域」である(写真3、4)。かつて大地震で土砂崩れが起こったことがあるということも含め、そのような災害が起こりやすい地域だということは確かであろう。

 またこの地域では、地震だけでなく、明治43年の関東の大水害でも崖崩れが発生し、君津郡内で69名が犠牲になったという(君津市立久留里城址資料館,2013)。このような情報を地域の中で共有し、新しく住むようになった人たちにも伝えていくことが必要だと思う。

  • 写真3 急傾斜地崩壊危険区域を示す杭
  • 写真4 急傾斜地崩壊危険区域を示す看板
  • 【参考文献】
  •  千葉県(2009):防災誌 関東大地震-千葉県の被害地震から学ぶ震災への備え.-
  •  君津市立久留里城址資料館編(2013):君津市立久留里城址資料館 平成25年度企画展「天災ときみつ-『未曾有』の災害をふり返る」解説書.

(八木令子)