2025/8/24(日)
炭窯跡
川の生きもの観察会のため君津市を訪れた。観察会は清和県民の森を流れる、小糸川の上流で開催した。当日、下見のために川に向かって歩いていると、川への降口近くに直径2m程度の円形の窪みを見つけた(写真1)。木炭を製造するためにかつて使われた炭窯跡だ。木炭は石炭や石油が使われる前の主要な燃料だった。木や草が茂ってわかり難いが、円形の窪みの一方向が開口しており、こちら側が焚口とみられる(写真2)。窪みの中には礫が散乱しており、熱を受けて赤く変色しているようなものも見られた(写真3)。これらの礫は窯の構造材であろう。なんでもこの地域は木炭の製造が盛んな地域だったという。その立役者となったのが、常盤半兵衛(通称:土窯半兵衛)と呼ばれる人物だ。江戸時代後期に現在の神奈川県からやってきて、土窯という炭窯の作り方と、それを使った炭焼の方法を伝えたのだ(清和村誌1976)。この窯で焼かれる炭は、質が良く高値で売れたそうだ。この方法は大正末期頃には廃れてしまったようだが、現在でも半兵衛の遺徳を偲んで、木炭づくりを継承する活動が行われている。
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写真1 直径2m程度の炭窯跡とみられるくぼみ
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写真2 焚口側から見た炭窯跡
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写真3 窯の内部に散乱している焼けた礫
(黒田篤史)