テーマ:とね川

今いる所:13問目 あたり!

答えは、2番!

かいせつ

高瀬舟(たかせぶね)の5分の1ほどの大きさに作ったもけいです。「せいじ」とよばれる、人が生活できる場所があることがとくちょうの一つです。やく600ぴょうの米だわらを運ぶことができました。荷物としては米のほか、酒やしょうゆ・木ざい・ワラでできたものやたき木などが主なるものでした。

せんどう(船に乗る人の中で、船をあやつる人)の数は、多くは6人くらいでふつうは4人くらいでした。船主(せんしゅ、船の持ち主)にやとわれている人が多かったようです。女の人が船に乗るようになったのは、明治末期(めいじまっき)ごろからです。

利根川(とねがわ)が太平洋にそそぐようになると、江戸(えど、今のJR山手線の中とその北がわ・東がわのちいき)から関東各地(かんとうかくち)へあみの目のように水路がひらけ、川面には数百せきもの高瀬舟(たかせぶね)などが行きかい、流いきには数多くの「河岸(かし、川などで船を止める場所)」がさかえました。川はさまざまな物や人といっしょに、目に見えない文化を運ぶ大切な交通路として、たくさんの歴史(れきし)をつくりあげてきました。