答えは、1番!
水の高さを調整するしせつで、手前が利根川(とねがわ)本流口、向こうがわが横利根川(よことねがわ)口です。このしせつは、利根川(とねがわ)がこう水になったときに、霞ヶ浦(かすみがうら)へ水が行かないように作られました。
明治(めいじ)43年、これまでけいけんしたことのないこう水にあいました。家を追われた人びとは、ていぼうの上に小屋をたてたりして、しばらくはきびしい生活を送っていました。
このこう水では利根川だけではなく、中部・関東(かんとう)・東北地方に大きな害(がい)をもたらしました。とくに関東(かんとう)では、死者が769人、行方がわからなくなった人が78人、2000戸以上(いじょう)の家がこわされ、2800戸近くの家が流されました。
このこう水をきっかけに、利根川(とねがわ)でのこう水たいさくが始まったのです。
Copyright: 千葉県立中央博物館 大利根分館