きのえねしょうゆこうじょうぐん

14 キノエネ醤油工場群


野田市

産業関係・醸造業・工場

総面積:33,700m2
1897(明治30)年以降

利根川と江戸川に挟まれた野田市は水にも運送にも不自由せず,江戸時代から醤油醸造が栄えた町である。キノエネ醤油株式会社は,1830(天保元)年の創業以来,160年間以上,醤油生産を続けてきた。野田の醤油工場が共同出資でキッコーマンを設立した中で,現在まで独立を通してきた唯一の醸造工場である。敷地は野田市商店街北部の西側に少し入ったところに位置する。総面積は33,700m2であり,そのうち,建物は18,000m2を占めている。

様々な年代の建築と設備があり,最古のものは本社社屋で,敷地の東南隅に位置し,西に面して建つ。建物は1897(明治30)年に社主の住宅として建設され,町家風の主屋と離れの二つの部分から成り立つ伝統的木造建築である。主屋は2階建て切妻造,棧瓦葺,正面1階に廂付きの建物である。妻側は道に面している。内部は,事務所に利用するために,改造されており,また,殆どの間仕切が取られている。裏の離れの部分も2階建てで,屋根は入母屋造の形式になっている。1階は改造が多いが,2階には座敷が残っている。明治時代のキノエネ工場の全体的な様子は明らかでないが,「千葉県博覧図」のなかに見られる,社主の住宅と並んで建つ土蔵群と作業場から成り立っていたと思われる。

社屋以外には,明治時代の建物が残っていないが,古い道具類はかなり残っており,その多くは野田市「もの知り醤油館」に保管されている。また,明治,大正,昭和初期に造られた巨大な杉材の桶が現在でも使われている(乾燥させると利用できなくなるため,常に使い続けている)。

作業用の建物のうちで,年代が明らかになっている最古のものは,1921(大正10)年5月竣工の作業場であり,野田市における最古の鉄筋コンクリート造と思われる。建物は中庭を通して,社屋の西北に位置し,2間×1間の東西棟の切妻造の3階建部分とその北側にある1間四方の寄棟造の2階建部分から構成されている。3階建て部分の外観に骨組み(桁,梁,柱,破風の三角)と窓の枠は面として突出し,表現されている。2階部分の東面の上階は出桁造りである。窓はすべて当初のものと思われる。

建設年代は明らかではないが,そのf也の建物のなかで,中蔵は作業場とほぼ同時期のものと見られる。中蔵は梁間2間,桁行10間の切妻造蔵2棟を平行に並べて,一体化したものである。当初は棧瓦葺,棟は南北で,間は桁行方向と梁間方向では異なり,前者は4.5mで,後者は6mになっている。南の5間は間仕切りのない,広い倉庫になっているが北の部分は棟方向で二つの空間に2分され,東半分に桶が21(7×3列)個入っており,醤油醸造のために使われている。醸造中の醤油を見守るために,桶の縁の高さに,板のデッキが設けられている。建物の軸廟狽へ鉄筋コンクリート,屋根は木造のキング・ポスト・トラスであり,木造の梁はコンクリートの桁に直接セットされている。コンクリート造の外壁はモルタル仕上げである。

昭和初期頃に,敷地の最北隅に位置する昭和蔵と呼ばれている建物が建設された。中蔵と同様に2棟の蔵が平行に並んだ形式を取っている。壁の構造は鉄筋コンクリート,2階では,木造の柱列は建物の中央にあり,屋根も木造のトラスである。22m×49.5m規模の建物の内部全体が一つの醤油醸造のための大空間になっている。中蔵と異なり,桶は利用されておらず,鉄筋コンクリートの長方形のタンクが建物の一部として造られており,その中で醤油醸造を行っている。

キノエネ工場群の近代産業遺跡としての歴史的価値が高く,受け継がれている建物や設備が現在もそのまま利用されている点はユニークである。建物は当初の姿をかなり良く残しているが,桶と同様に,維持管理が大変である。特に中蔵の構造材の腐食が激しく,柱の鉄筋が表面に出ているところが多い。

(モリス マーティン)

地形図 「野田市」(略)

写真14-1 キノエネ工場,鳥瞰写真 (南から) (1997年) 写真14-2 キノエネ社屋の外観 (1997年)
写真14-3 中蔵内部:杉材の桶(1997年) 写真14-4 昭和蔵の外観(1997年)
写真14-5 中蔵の内部:鉄筋が構造材の表面に出ている(1997年)

参考文献

1) キノエネ株式会社:キノエネ醤油(会社案内),1991年
2) 国書刊行会:千葉県博覧図,1986年


Back
Home
Up
Next