きゅうそうぶてつどうきどうあと

53 旧総武鉄道軌道跡 


佐倉市

交通関係・鉄道・軌道
幅約3m,バラスト厚約30cm
1894(明治27)年

現在,総武本線は四街道駅を出ると,10パーミル(1000分の10)の下り勾配で佐倉の低地帯へ向っている。しかし,物井駅から佐倉駅の間には,物井川付近の低湿地帯(軟弱地盤)と,寺崎台地が位置しているため,総武本線はこの区間を築堤とトンネルで直線的に通過している。このような線路となったのは,国鉄時代の1968(昭和43)年2月25日で,総武本線千葉〜佐倉間の複線化工事で線路付替が行われたためである。(同年3月28日には千葉〜成田間が電化されており,電化区間として施行されたのは言うまでもない。)

したがって,線路付替以前の総武本線は,御茶ノ水起点51.4km付近から北側(進行左側)にそれ,物井川を横断するべく小高い丘を上り(勾配は10パーミルと推定される),そのレベルのまま寺崎台地北側の裾野に取りつき,そのまま佐倉駅構内に進入するように敷設されていた。

現在,その軌道敷のほとんどは農道などに転用され,それらしき痕跡は僅かに確認できる程度であるが,現総武本線との分岐直後から物井川橋梁跡にかけては,バラストが残る軌道敷や物井川橋梁橋脚などの施設を確認することができる。

確認できた軌道敷は,幅が約3m程で,バラスト厚は約30cmである。バラストには丸石が多用され,砕石は表面に僅かに見られる程度である。レールは既に撤去されていたが,バラスト厚や丸石の多用などから推定すると40kg程度のものが使用されていたと考えられる。

旧物井川橋梁橋脚は,起点方の第1橋脚のみが現存しており,第2橋脚以降,終点方の橋脚は確認できなかったため,スパンや構造などの詳細は不明である。

なお,煉瓦の積み方は,路盤終端部がフランス積,桁座下部はイギリス積である。また,煉瓦の法量は小口=110mm,長手=220mm,高さ60mmで,路盤終端部,桁座下部とも同質の煉瓦が使用されている。

(山下耕一)

地形図 「佐倉」(略)

図53-1 旧総武鉄道軌道敷付近線路断面図2) 図53-2 旧総武鉄道軌道敷位置図
写真53-1 旧総武鉄道軌道敷(画面奥が終点方)(1997年) 写真53-2 旧総武鉄道軌道敷(画面奥が起点方)(1997年)
写真53-3 旧物井川橋梁第1橋脚(1997年) 図53-3 旧物井川橋梁第一橋脚実測図

参考文献

1) 白土貞夫:ちばの鉄道一世紀,崙書房,1996年
2) 宮脇俊三・原田勝正:日本鉄道名所 第3巻 首都圏各線,小学館,1987年

※「図53-1旧総武鉄道軌道敷付近路線断面図」は,小学館刊『日本鉄道名所第3巻 首都圏各線』101ページに掲載されている「総武本線線路断面図」を,転載したものである。


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