システム・制度に関する記念碑


  明治政府は中央集権国家に向け、西欧諸国のシステムや制度を参考にして、さまざまな布告や布達を出します。身分制の撤廃(てっぱい)、西欧的な貨幣(かへい)制度や教育制度の導入、新たな税金制度である地租改正、土木・鉄道・通信といった基盤(きばん)整備などについて、国民に示されました。

インフラ整備

1日本水準原点標庫
日本水準原点標庫
<東京都千代田区永田町1-1-2 国会前庭北地区 憲政記念館構内>
 日本の土地の高さ(標高)は、東京湾の平均海面を基準(標高0m)として測られています。日本水準原点は、日本の水準測量の基準点です。水準点の高さを定めるため、明治24年(1891年)に「日本水準原点」が設置されました。全国の主要な道路沿いに設置されている水準点の高さは、この日本水準原点に基づいて水準測量により決められ、この水準点がその地域において行われる高さの測量の基準となります。この水準原点が納められているのが、この標庫です。



当館所蔵の関連資料
『土木工要録』
量水標
2飯沼水準標石
飯沼水準原漂石
<千葉県銚子市馬場町1-1>
 利根川や江戸川の河川整備に必要となる水位表記の基となった水準原標(高さを測る水準測量を行う時の原点となる点)です。飯沼水準原標石は、明治5年(1872)に明治政府の招聘(しょうへい)により来日したドールンを代表とするオランダ人技師団 の一人、リンドにより設置されました。水位尺(量水標)を設置し、利根川、江戸川の 水準測量を随所で行い、水準原 標石を設置し、水準測量の原点と定め、これを基準に飯沼水位尺(量水標)の零位を「日本水位尺 」と名付けました。
 さらに、明治6年(1873)隅田川河口の霊岸島に水位尺(量水標)を設置し、同9年に行なった水位観測で東京湾の中汐を決定し、その7年後、陸軍参謀本部測量課により、霊岸島量水標の水位観測結果から東京湾中等潮位を決定しました。これが標高の零点で、「日本水準原点」 が定められました。
3-1利根川第一期改修発祥の地

3-2利根川第一期改修発祥の地
利根川第一期改修発祥の地
<千葉県香取郡東庄町笹川>
 利根川は明治期になってもたびたび氾濫し、特に明治18年(1885)?29年(1896)の洪水被害が大きかったため、河川法の制定とともに、それまでの底水工事から高水工事に変更し、堤防を高くするなどの大規模な改修計画が立てられました。
工事は3期に分けて実施され、第1期は利根川河口から佐原間で着工されたため、 発祥地として碑が建てられました。

【碑文】
記念碑建立の趣意書
 利根川の本格的な治水工事は,明治三三年(西暦1900年) 第一期改修工事として佐原?河口間で着手された。同年, 築堤工事が大倉村 (現佐原市)地先で, 浚渫工事が笹川村(現東庄町)のこの地で起工された。
 起工初年度の浚渫工事は, 内務省第一土木監督署笹川工営所が担当した。工事は, 人力掘削で浚渫船作業が併用され, 浚渫された土砂は合わせて約二〇万八千立米であった。
 爾来, 利根川下流でおこなわれた浚渫土砂は築堤にも用いられたが, 大部分の土砂は周辺の湿地, 沼沢等の埋立てに利用された。 こうして利根川下流改修事業は, 洪水防御と共に土地造成を行うという一挙両得の効果を挙げた。
 ここに, 当地先における利根川改修事業の着手を永遠に伝承するため 「利根川第一期改修発祥の地」の石碑を建立する。

平成一二年(西暦2000年)十月 建立


当館所蔵の関連資料
土木工事写真集
利根川第3期工事費衆議院通過の報告
利根川第一期改修工事
内務省土運船竣功/坂巻・土信田造船所
土面突きの様子
機関車レール
トロッコレール
カンテラ
機関車用ハンマー
汽車用ベイン(ジョイント)
タコ
4鉄道創業の地記念碑
鉄道創業の地
<神奈川県横浜市中区山下町>
 日本初の鉄道は、 明治5年(1872)5月に 品川駅から横浜駅(現・桜木町駅)の間で 仮営業を開始し、9月になってから 新橋-横浜間が正式に開業しました。

【碑文】
鉄道創業の地
 我が国の鉄道は、 明治5年(1872年)旧暦5月1日、 この場所にあった横浜ステイションと品川ステイションの間で開通し、その営業を開始しました。
 わたくしどもは、当時の人の気概と努力とをたたえ、このことを後世に伝えるとともに、この伝統が受け継がれて、さらにあすの飛躍をもたらすことを希望するものであります。
  昭和42年10月14日  社団法人 横浜市観光協会
             鉄道発祥記念碑建設特別委員会


当館所蔵の関連資料
復刻版;東京真画名所図解「上野ステーション」
復刻版;東京真画名所図解「高縄鉄道」
5品川駅創業記念碑
品川駅創業記念碑
<東京都港区高輪3 JR品川駅高輪口ロータリー>
【碑文】
品川駅創業記念碑
明治五年五月七日
品川横浜間鉄道開通
鉄道列車出発時刻及賃金表 定 明治五年五月七日
上り 下り
横浜発車 品川到着 品川発車 横浜到着
午前八字 午前八字三十五分 午前九字 午前九字三十五分
午后四字 午后四字三十五分 午后五字 午后五字三十五分
賃金表
車ノ等級
上等 片道 壹円五拾銭
中等 同 壹円
下等 同 五拾銭
  昭和二十八年四月吉日
    品川駅改築落成祝賀協議会建之
6郵便発祥の地
郵便局発祥の地
<東京都中央区日本橋1-18-1 日本橋郵便局入口>
 明治4年(1871)に、それまでの飛脚制度に代わって、近代的郵便制度が制定されました。ここは最初に「駅逓司」および「東京郵便役所」という役所が置かれたところです。
 銅像の前島密は、日本の近代郵便制度の創設者です。


当館所蔵の関連資料
日本帝国郵便規則及罰則.駅逓改正
[覚]郵便規約(郵便物に関する料金等のメモ)
7電信創業之地
電信創業之地
<東京都中央区明石町13>
【碑文】
電信創業之地
東京電信局跡
明治ニ年十二月廿五日開始
紀元二千六百年 逓信省

【碑文】
電信創業記念碑の由来
  明治2年9月19日(太陽暦10月23日) 横浜裁判所と 東京築地 運上所内に設けられた 「電信機役所」を結ぶ 約32キロメートルの電信線 架設工事が開始され、 同年12月25日に業務を開始した。これが、 我が国における 公衆電気通信の最初である。
 この記念碑は、先駆者の業績を後世に伝えるため、昭和15年に建立されたもので、昭和53年、南南東約40メートルの地点から当地へ移設されたものである。


当館所蔵の関連資料
電報頼信紙
8検査業務開始の地
検査業務開始の地 碑
<東京都中央区銀座8-20-26>
 明治2年(1869)、東京〜横浜間に電信(電報)が整備され、以後、国内に電信網が広がりました。ここには、電信に使われる碍子を調べる国内初の検査所が設置されました。

【碑文】
検査業務開始の地
 明治9年6月17日、この地に 工部省電信寮の碍子試験所が発足して電信用碍子の電気試験が行われた。これが我が国における近代的物品購入検査の始まりである。  検査100年を記念して
    昭和51年6月
     郵政省
日本電信電話公社    寄贈 検友会


9電話交換創始之地
電話交換創始之地
<東京都千代田区丸の内1>
 明治23年(1890)に東京−横浜間で電話通信サービスが始まります。初期は輸入されたガワーベル電話機で開始し、29年(1896)にデルベル磁石式壁掛電話機が登場します。30年(1897)にデルベル磁石式の卓上式の電話機が登場しました。

【碑文】
電話交換創始之地
東京電話交換局跡
明治廿三年十二月十六日創始
   紀元二千六百年
逓信省


当館所蔵の関連資料
記念写真「幸手電話開通祝賀会」
10-1近代下水道発祥の地

10-2近代下水道発祥の地
近代下水道発祥の地
<神奈川県横浜市中区大通>
【碑文】
横浜の下水道の始まり
 ここに展示の構造物は、昭和56年に、中区山下町37番地先から発掘された卵型下水管である。
 明治3年に関内居留地内全域に陶管を埋設した。これが、わが国最初の近代的下水道であった。その後、明治14年からこれをレンガ造りの下水管に造り変えた。その断面が卵型をしているので卵形管と呼ばれる。この時の卵形管の一部は、中華街南門通りで現在も使われている。

研究

11-1農業技術研究発祥之地

11-2農業技術研究発祥之地
農業技術研究発祥之地
<東京都北区西ヶ原2 滝野川公園内>
 この滝野川付近には、明治中期に農事試験場や醸造試験所などの研究機関が設立されました。

【碑文】
農業技術研究発祥之地
  明治26年4月 農商務省農事試験場がこの地 東京府北豊島郡瀧ノ川村西ヶ原に創設され 我が国の農業技術研究は発祥した
  爾来87年 その間 昭和25年4月 農業技術研究所 と改称される等 組織機構の変遷はあったが「西ヶ原」は常に近代農業関係試験研究機関の母体として 多くの輝かしい業績により農業の発展に寄与してきた
  昭和55年1月 国立試験研究期間の筑波研究学園都市への移転に伴い この地での研究を終わる
  「西ヶ原」の栄光の不滅を祈念し ここに記念碑を刻む


当館所蔵の関連資料
醸造改良杜氏読本
「共進会報告 茶貿易衰盛概計表」(幕末−明治期茶貿易について)
明治12年共進会報告
第9次製茶試験所報告

軍備

12ダイナマイト発祥の地
ダイナマイト発祥の地
<群馬県高崎市綿貫町>
 ここは旧東京第二陸軍造兵廠 岩鼻製作所の跡地で、 かつてはダイナマイトをはじめとする 各種火薬を製造していました。 現在、 南隣には日本化薬株式会社の工場があります。

【碑文 表面】
我が国 ダイナマイト発祥の地
陸軍岩鼻火薬製造所跡

【碑文 裏面】
建碑記
 ここ旧岩鼻火薬製造所の歴史は明治十二年にはじまる
富国強兵、産業の振興をはかり、近代国家の確立をめざした日本政府は 火薬類の軍需民需の急増に応えるため烏川の沿岸に 当時とし ては唯一の動力源である水車の利用に適し、 水利と水運に惠まれ、東京にも近いこの地に建設を決定した 明治十三年 建設に着手
  明治十五年 竣工、黒色火薬の製造を開始、施設増設、技術の革新をはかった 明治三十八年 ダイナマイトの製造を開始して、 わが国産業爆薬製造の発祥の地となった 昭和九年 ニトログリセリン入り無煙火薬の製造をはじめた 昭和二十年第二次世界大戦の終結による閉鎖にいたるまで六十四年間、 ここで生産された火薬類は軍需のほか民間 需要にも応へ、わ が国近代産業史に残した足跡は大きい
 群馬県が明治百年の記念事業として、この地に「群馬の森」を開設し、 新らしい時代の役割を担う地と計画すると聞き、この地にゆ かりのあるものを相計り、由来を述べて建碑の記とした
         昭和四十八年五月十三日
             従業員
             旧岩鼻火薬製造所 遺 族 有志一同
             関係者


当館所蔵の関連資料
[布告](徴兵令改正ニ付)

経済

13日本銀行創業の地
日本銀行創業の地
<東京都中央区日本橋箱崎町19>
 明治15年(1882)に、日本銀行条例が交付され、中央銀行としての日本銀行が開業しました。

【碑文】
日本銀行創業の地
 明治十五年十月十日日本銀行はこの地で開業した
 明治二十九年四月日本橋本石町の現在地に移転した
 創業百周年を記念してこの碑を建てる
   昭和五十七年十月
   日本銀行総裁 前川春雄


当館所蔵の関連資料
日本銀行兌換銀券
日本銀行券
復刻版;東京真画名所図解「永代橋際日本銀行の雪」
14東京商工会議所
東京商工会議所発祥の地
<東京都中央区銀座6-17-1>
 明治維新後、特に外国貿易振興のための商工業者の組織が必要とされたため、伊藤博文・大隈重信・渋沢栄一らが 1878(明治11)年、ここに「東京商法会議所」(現・東京商工会議所) が設立されました。

【碑文】
東京商工会議所発祥の地
 明治維新の国是をふまえ 欧米諸国の制度文物を取り入れ 時の産業界の指導者が相携えて 明治11年3月12日 商工業発展のための総合的組織体として 東京商法会議所(東京商工会議所の前身)を創立し その事務所をおいたのがこの地である
 ここには明治24年以来 農商務省 ついで商工省 が昭和18年まで所在し 明治 大正 昭和の3世代 にわたって 日本産業発展のための官民協力の場ともいうべきところとなった
 昭和53年3月12日 東京商工会議所創立100周年 にあたり ここに記念碑を建てて後世に残すものである
      東京商工会議所会頭 永野重雄

教育

15日本近代初等教育発祥の地
日本近代初等教育発祥の地
<東京都港区芝公園1-1>
【碑文】
東京都港区指定文化財
旧跡 日本近代初等教育発祥の地
(小学第一校・源流院跡)
 わが国の近代初等教育は、明治5年(1872)の学制発布に先立ち、同3年に東京府が府内の寺院を仮校舎として、6つの小学校を設立したことに始まり、その第一校は、6月12日に開校した。第一校のおかれた源流院は、江戸時代初期からの増上寺子院で、当時、境内北辺の御 成門東側のこの地にあった。大訓導(校長)村上珍体、教師、助教と生徒中の秀才が生徒を教えた。授業は主として句読(音読)・習字・算術 で、生徒は8歳から15歳までとし、机・硯箱・弁当は各自持参した。
 この小学第一校は、明治4年に、西久保巴町(虎ノ門3丁目)へ移り、その後、校名も、第一大学区第二中学区第一番小学、鞆絵尋常高等 小学校、鞆絵国民学校、鞆絵小学校などと変わった。
     平成2年10月24日
             東京都港区教育委員会


当館所蔵の関連資料
『小学科本 日本略史 上中下』
『小学校用歴史 第二』
『実験日本修身書巻1高等小学生用.3.5.6尋常小学生徒用
『修正小学日本地理乙種巻2.小学地理3
明治初期納税書小学校授業料領収書
手習草紙
小学校設立伺書 第拾三大区四小区
学制
卒業証書
『尋常小学校読本他
16慶應義塾発祥の地
慶應義塾発祥の地
<東京都中央区明石町11>
 慶応義塾の起源は、安政5年(1858)福沢諭吉が、この付近にあった中津藩奥平家の中屋敷に開いた蘭学の家塾に由来します。

【碑文】
慶応義塾発祥の地
安政5年 福沢諭吉 この地に学塾を開く。
創立百年を記念して 昭和33年 慶応義塾これを建つ。


当館所蔵の関連資料
『実業論 全』
『学問のススメ』

その他

上記で挙げていない、明治政府が行ったシステムや制度に関する当館所蔵の資料を、紹介します。


当館所蔵の関連資料
明治六年千葉県布達件銘録第一巻・二巻
明治十年千葉県布達件銘録第五巻
地租改正の布達
明治十二年太陽略本暦
明治十三年略本暦
明治天皇勅語