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近世の利根川洪水
江戸時代初期、幕府は利根川東遷事業を実施すると
ともに江戸川を新たに開削しました。以後も洪水対策を
主体とした改修工事が行われ、その過程で築堤や護岸
水制などの様々な改修技術が創案されました。
しかし、自然の猛威は人知をも上まわり、数多くの洪
水が人々を恐怖と苦難におとしめました。 |

安政の大洪水(「安政風聞集より」) |
利根川の主な洪水
年代 |
洪水箇所 |
被害状況など |
宝永元(1704) |
利根川上川俣で破堤 |
本所・行徳・深川等で浸水 |
享保13(1728) |
古利根川沿岸氾濫 |
両国橋破壊 |
寛保2 (1742) |
利根川各所で破堤 |
江戸市中冠水、関宿城大破 |
宝暦7 (1757) |
権現堂川決壊 |
古河・関宿大水 |
天明3 (1783) |
(浅間山噴火) |
(利根川の河床上昇) |
天明6 (1786) |
利根川全川にわたり水害 |
江戸市中浸水、両国橋大破 |
寛政3 (1791) |
中条堤破堤 |
上利根川(注)に被害集中 |
享和2 (1802) |
権現堂堤、中川破堤 |
江戸市中浸水 |
弘化元(1844) |
権現堂堤破堤 |
江戸市中浸水 |
弘化3 (1846) |
本川俣・権現堂堤等破堤 |
江戸市中浸水 |
安政6 (1859) |
利根川・荒川等で洪水 |
流域各所で被害 |
(注)上利根川:渡良瀬川合流点または栗橋町より上流部。
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