稲 富 流 |
稲富伊賀守祐直が慶長(1596〜1615)に始まる。最も古い流派の一つで、徳川家康・浅野長政・井伊直政などを弟子とした。 |
井 上 流 |
井上外記正継が元和期(1615〜1624)ごろ始めた流派。外記流ともいう子孫は江戸幕府の鉄砲方を勤める。 |
荻 野 流 |
荻野六兵衛安重が寛文期(1661〜1673)に始めた流派。子孫は大坂で流派をひろげた。各藩から入門者が多く、江戸時代を通じて最も流行した。 |
霞 流 |
丸田九左衛門盛次が江戸時代初期に始めた流派。米沢藩に代々伝承され、10匁以上の比較的大口径の銃を使う。 |
関 流 |
関之信が寛永期(1624〜1644)に初めた流派。久留里藩主の土屋氏に仕えた。後に常陸国土浦と江戸で伝承される。 大筒の射撃が有名。 |
高 島 流 |
高島四郎太夫秋帆が天保期(1830〜1844)に始めた流派。オランダから西洋砲術を取り入れ、西洋的な軍制を整備した。 |
田 付 流 |
田付景澄が慶長期(1596〜1615)に始めた流派。景澄は稲富祐直・安見右近と並び鉄砲の三名人といわれ、子孫は江戸幕府の鉄砲方をつとめる。 |
津 田 流 |
津田堅物算長が南蛮人から伝授された、という最も古い流派の一つ。紀州(和歌山県)を中心に全国に伝わる。 |
天 山 流 |
阪本孫八郎俊豈が安永期(1772〜1781)ころから始めた流派。荻野流増補新術ともいう。有名な周発台を発明し、近代的な銃隊戦術を生み出した。 |
中 島 流 |
中島太兵衛長守が江戸時代中期に始めた流派。武衛流・自得流・佐々木流などの流派を折衷した。棒火矢などをよく使った。 |