フィールドノート No.2414

 2025/11/17(月)

 内裏塚古墳群

 富津市にある内裏塚(だいりづか)古墳群を訪れた。内裏塚古墳群は、県内最大の前方後円墳である内裏塚古墳を中心に、49基(墳丘が残存するのは23基)からなる古墳群である。墳丘長100mを超える古墳が複数含まれる、関東屈指の大古墳群として知られている。このうち8基が国指定史跡「内裏塚古墳群」として指定を受けている。今回、内裏塚古墳、上野塚古墳、九条塚古墳、稲荷山古墳、三条塚古墳、亀塚古墳の6基は実際に墳丘に登ることができた。割見塚古墳(わりみづかこふん)は、見学ルートが未整備のため道路から眺めるのみとなり、古塚古墳は見逃してしまった。内裏塚古墳と九条塚古墳は特に墳丘の保存状態が良く、ともに前方後円墳だが、それぞれ登ってみると墳丘の形状の違いを実感できる。前方後円墳の形状は、古い時代のものほど、前方部の端があまり開かない長方形状に近いのに対し、新しい時代のものになると、端に向かって開く三角形状へと変化する。また、古いものは後円部が前方部に比べて高いが、新しいものになると高さの差がなくなってくる。つまり、古い時代のもののほうが、引き締まった立体感のある形をしている。このように、現地を実際に歩くことで、時代による墳形の違いを肌で感じ取ることができる。

    写真1 内裏塚古墳の後円部墳頂平坦面から前方部側を見る。
    写真2 上野塚古墳を前方部側から後円部側を見る。大きく墳丘が削平されている。
    写真3 九条塚古墳。右側が後円部、左側が前方部。周溝が巡っている様子がよくわかる。
    写真4 稲荷山古墳。前方部側から後円部側を眺める。まわりに建物が無いので、俯瞰しやすい。
    写真5 三条塚古墳の横穴式石室の天井石。江戸時代末期に飯野藩の藩校・明新館が建てられていたため、墳丘が削られている。
    写真6 亀塚古墳。こちらは方墳で、かつて飯野藩の牢屋が墳丘上にあったといい、そのためかなり改変を受けている。
    写真7 真ん中の森が割見塚古墳。40m×40mの方墳。

(黒田篤史)