《グレーの塔》 1901(明治34) 油彩・カンバス・額 35.5×24.85cm
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浅井 忠

1856(安政3)〜1907(明治40)

 この作品は、フランスのパリ近郊フォンテーヌブローの森の南端に位置する小さな村であるグレー・シュル・ロアン(Grez-sur-Loing)の教会を描いたものである。浅井忠は、日本の画家の中で、グレーの風景を最も多く描いた画家であると思われる。浅井は、1900年(明治33)フランスに留学し、約2年間の滞在中グレー村を4度訪れている。グレーは、セーヌ河の支流ロアン川の穏やかな流れに沿い、今も中世の面影を残している。イギリスの作曲家で、『春はじめてのカッコウを聴いて』『夏の庭園で』などの作曲で名高いフレデリック・ディーリアス(1862−1934)が、後半生を過ごした地として、また日本の美術史においては、1888年(明治21)に黒田清輝がはじめて訪れ、村の娘マリア・ビヨーをモデルに代表作《読書》《婦人図(厨房)》などを制作したことで有名である。
フォンテーヌブローの森の周辺には、19世紀半ばから20世紀前半にかけ、画家、詩人、小説家たちが集まった多くのコロニー(芸術村)が存在した。その代表的なひとつが、ミレーやコローなどが住んでいたバルビゾン村である。この村に住みバルビゾン派と称された画家たちは、戸外で自然についての観察を行い、森や村の周辺の風景や農村生活を描いた。彼らの自然主義的な描写は、次世代の画家たちに影響を与えた。若い画家たちにとって、戸外の写生で描く絵画には光が重要な要素となり、光の微妙な変化が現れる水辺に写生地を求め、バルビゾンと異なり川に面したグレーは、第二のバルビゾン村として最適な場所となった。
 浅井は、4度目のグレー訪問の際には、約6ヶ月間滞在した。屋外での写生を日課とし、自然観察によって得た題材をアトリエで構成して、多くの作品を描いた。この《グレーの塔》は、鉛筆で輪郭をとり、丁寧な色付けがなされている。さらに教会の建物との比率からすれば人物が大きく描かれ、人物は写真を活用していることが判明する。このことは、写生を基に、後日アトリエにおいて描かれた可能性を示唆している。
 本館には、約190点近くの浅井の作品コレクションを所蔵している。この中には、初期の代表作である《藁屋根》《漁婦》や、京都時代の《婦人像》など油彩8点、《京都高等工芸学校の庭》などの水彩約40点、素描約60点、工芸約20点などがある。その他、浅井自身のスケッチブック、下絵、書簡、書籍類などの資料も1,000点を超えている。(前川公秀)