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《印旛沼(写生地 佐倉市)》
浅井 忠【安政3(1856)〜明治40(1907)】
制作年 明治11(1878) 紙・鉛筆
縦11.9p×横25.3p

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 浅井忠は、安政3年、江戸木挽町(現東京都中央区)の佐倉藩下屋敷に生まれました。少年時代を佐倉市で過ごし、明治9年工部美術学校に入学し、ここでフォンタネージに洋画を学び、その後日本で最初の洋風美術団体である明治美術会を組織しました。東京美術学校教授就任後、欧州に留学 し、帰国後は京都高等工芸学校図案科教授となり、聖護院洋画研究所、関西美術院を創立し、安井曾太郎、梅原龍三郎など、多くの俊才を育てました。
この作品は、浅井が工部美術学校在学中に描いた作品で、少年時代を過ごした印旛沼を描いたものです。工部美術学校では、東京及び近郊の風景を写生しましたが、明治後半になると、旅行は未知の自然を求める写生画家たちの人気を集めました。

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