《西村房太郎像》 昭和元年(1926)〜5年(1930)
キャンバス・油彩 縦45.5 × 横38.0p
【千葉県立美術館蔵】
《西村房太郎祖母像》 昭和元年(1926)〜5年(1930)
キャンバス・油彩 縦45.5 × 横37.5p
【千葉県立美術館蔵】

 堀江は、大正15年頃から西村校長の勧めで、肖像画を描き始めました。本館にも≪西村房太郎像≫≪西村房太郎祖母像≫≪鶴岡常太郎像≫の3作品があります。

 肖像画制作の依頼は多かったようですが、堀江は生活が困窮していても、依頼主が誰であろうとも関係なく、気分が乗ると描き、描き始めたら自分の納得が行くまで描きました。中には肖像画の依頼から十数年越した預かり物の写真もあったといいます。

 西村は、堀江をさまざまな面でサポートした人物です。堀江が千葉中学校に長く勤められるように計らったり、教員資格の取得や、祝賀会の企画・開催にと尽力しました。
その名校長といわれた人物を堀江は暖かい眼差しで描いています。

 西村は、長崎県諫早市の出身で、代々佐賀藩の家老に仕えた儒者の家柄でした。
西村の祖母像にも儒学者の妻らしい凛として知的な雰囲気が感じられます。西村も、小学校を卒業する頃には、大学、中庸、論語、孟子等の書物を読めたといいます。
東京帝国大学史学科に学び、大学院へと進みますが、家の事情により研究を断念し、中等教育に身をささげる決意をします。

 大正9年から昭和7年までの12年間を旧制千葉中学校長として大胆な改革を行いました。


西村房太郎像・西村房太郎祖母蔵

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