(1855-1915)

 洋画家五姓田芳柳の次男として江戸に生まれる。慶応2年(1866)から横浜でワーグマンに洋画を学ぶ。明治9年(1876)工部美術学校に入学し、フォンタネージの指導を受ける。翌年退学し、第1回内国勧業博覧会で当時最高の2等賞を受ける。明治13年(1880)には渡仏してレオン・ボンナに師事し、サロンに入選。帰国した翌年の明治22年(1889)に明治美術会の結成に参加。明治23年(1890)渡米するが、同年帰国する。明治28年(1895)横浜に移住する。晩年は、健康を害し、明治40年第1回文展の出品が最後の作品となった。

「三味線をひく女」
1907(明治40)年作
紙・水彩
19.7×27.0(cm)

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